2006年05月01日
沖縄市長選挙結果について
昨年10月の保守系市長候補選考から、沖縄市長選挙に関わってきた私として、結果的に今回敗北を喫してしまった事は、極めて残念であります。
保守市政を引き継いでいくことの難しさを、特に候補者が複数名いる場合の、一本化作業の難しさを、強く実感させられました。
この苦い敗戦の主な要因を、私なりにまとめてみると、以下の通りに、集約できると思います。
① 桑江候補とその後援会には、市議選の経験しかなく、本人・後援会長を含め後援会そのものを、市長選挙レベルにまで拡大し、新しい支援者を獲得しようとする発想が極めて少なかった。(西田氏や公明の取り込みの遅れにそれが表れている)
② 仲宗根現市政では社大党も与党であるにも拘らず、社大党に対する積極的な協力要請等の働きかけがなく、結果的に相手陣営に回ってしまった。
③ 2回の公開討論会を実施しているが、我が陣営が主催した最初の討論会で、本人の準備不足・経験不足のため惨憺たる結果を残してしまった。
④ 沖縄市の主要プロジェクトである東部海浜開発事業について、相手候補の反応の変遷(衆議院議員時代は明確に反対意見を述べ続けているにも拘らず、今回は非常に曖昧な態度に変わっていた)を、政策でも討論会でも争点にすることが出来なかった。
⑤ 県内建築業者(特Aクラス)に対する、公正取引委員会による談合事件の摘発により、従来の組織立った選挙態勢を構築することが出来なかった。
⑥ 自民党本部と自民党県連は、連携して自由連合の取り込みを模索していたが、時間が足りずに不発に終わった。
⑦ 若い経営者等を中心とするグループが積極的に応援を展開していたが、選挙に不慣れなために十分に力を発揮することが出来なかった。
⑧ 昨年12月25日に市長候補として選考されたにも関わらず、保守系が完全に一本化されたのが、投票日40日前の3月13日、公明党から支援を取り付ける政策協定を結んだのが投票日1ヶ月を切った3月27日と、まとめるのにあまりにも時間がかかりすぎた。
また、今回の沖縄市長選挙には明確な政策による争点はなく、確固たる政治姿勢・政策を示し、それを市民に訴えかけていく、という選挙ではなく、保守ですか?それとも革新ですか?といった、ある意味浮動票を獲得することが難しい選挙でありました。投票率の低さを見ても、それが表れているような気がします。
そのような選挙ではやはり、副知事や衆議院議員を2期も経験している相手候補が数枚以上、上手であった感がします。
自民党県連・公明党県本は今回の選挙でも自公態勢を堅持し、来たる11月の沖縄県知事選に向けての前哨戦と位置づけ、知事選並みの応援(党本部からの国会議員の応援40名余、各種政治連盟への強力な働きかけなど)・物心両面の支援を、わずか一ヶ月足らずで実施してくれました。
1月30日の出馬表明と2月8日の事務所開きの状況、その後のくわえ選対の状況、そして上記の私なりのまとめを鑑みますと、2000票差というのは、政党としては善戦であったと、私は見ています。
4年後市政を奪回するためには、今回の選挙に関わったくわえ選対の沖縄市民が、真剣に総括を実施し、敗因を冷静に分析し、皆が共通した敗因意識を持つことが最も大切であると、私は考えます。
最後になりますが、応援してくださいました市民をはじめ、自民党県連・公明党県本その他関係した皆様方に心から感謝するとともに、負けてしまったことに対して、心からお詫び申し上げます。
心機一転、11月の沖縄県知事選挙に向けて、頑張って行きましょう!
保守市政を引き継いでいくことの難しさを、特に候補者が複数名いる場合の、一本化作業の難しさを、強く実感させられました。
この苦い敗戦の主な要因を、私なりにまとめてみると、以下の通りに、集約できると思います。
① 桑江候補とその後援会には、市議選の経験しかなく、本人・後援会長を含め後援会そのものを、市長選挙レベルにまで拡大し、新しい支援者を獲得しようとする発想が極めて少なかった。(西田氏や公明の取り込みの遅れにそれが表れている)
② 仲宗根現市政では社大党も与党であるにも拘らず、社大党に対する積極的な協力要請等の働きかけがなく、結果的に相手陣営に回ってしまった。
③ 2回の公開討論会を実施しているが、我が陣営が主催した最初の討論会で、本人の準備不足・経験不足のため惨憺たる結果を残してしまった。
④ 沖縄市の主要プロジェクトである東部海浜開発事業について、相手候補の反応の変遷(衆議院議員時代は明確に反対意見を述べ続けているにも拘らず、今回は非常に曖昧な態度に変わっていた)を、政策でも討論会でも争点にすることが出来なかった。
⑤ 県内建築業者(特Aクラス)に対する、公正取引委員会による談合事件の摘発により、従来の組織立った選挙態勢を構築することが出来なかった。
⑥ 自民党本部と自民党県連は、連携して自由連合の取り込みを模索していたが、時間が足りずに不発に終わった。
⑦ 若い経営者等を中心とするグループが積極的に応援を展開していたが、選挙に不慣れなために十分に力を発揮することが出来なかった。
⑧ 昨年12月25日に市長候補として選考されたにも関わらず、保守系が完全に一本化されたのが、投票日40日前の3月13日、公明党から支援を取り付ける政策協定を結んだのが投票日1ヶ月を切った3月27日と、まとめるのにあまりにも時間がかかりすぎた。
また、今回の沖縄市長選挙には明確な政策による争点はなく、確固たる政治姿勢・政策を示し、それを市民に訴えかけていく、という選挙ではなく、保守ですか?それとも革新ですか?といった、ある意味浮動票を獲得することが難しい選挙でありました。投票率の低さを見ても、それが表れているような気がします。
そのような選挙ではやはり、副知事や衆議院議員を2期も経験している相手候補が数枚以上、上手であった感がします。
自民党県連・公明党県本は今回の選挙でも自公態勢を堅持し、来たる11月の沖縄県知事選に向けての前哨戦と位置づけ、知事選並みの応援(党本部からの国会議員の応援40名余、各種政治連盟への強力な働きかけなど)・物心両面の支援を、わずか一ヶ月足らずで実施してくれました。
1月30日の出馬表明と2月8日の事務所開きの状況、その後のくわえ選対の状況、そして上記の私なりのまとめを鑑みますと、2000票差というのは、政党としては善戦であったと、私は見ています。
4年後市政を奪回するためには、今回の選挙に関わったくわえ選対の沖縄市民が、真剣に総括を実施し、敗因を冷静に分析し、皆が共通した敗因意識を持つことが最も大切であると、私は考えます。
最後になりますが、応援してくださいました市民をはじめ、自民党県連・公明党県本その他関係した皆様方に心から感謝するとともに、負けてしまったことに対して、心からお詫び申し上げます。
心機一転、11月の沖縄県知事選挙に向けて、頑張って行きましょう!
Posted by オド 亨 at 16:58│Comments(1)
│沖縄県政に関すること
この記事へのコメント
はじめまして、こんばんわ。22歳の学生の向日葵と申します。
くわえ朝千夫さん、頑張りましたね。2000票位の差だったんですね・・・。
くわえ朝千夫さんを支持していた私からしては、残念な結果におわりました。
この2000票は、若者やタシマンチュの票だと思います。くわえ朝千夫さんのチラシ?に「若者・バカモノ・ヨソ者」?でしたか?書かれているのを見ました。私の周りの友達も見てビックリしてました。皆で事務所に電話して、この文章の趣旨を確認しました。20代前半位の若いオネェさんが丁寧な対応で申し訳なさそうに対応してました。「これは、くわえ朝千夫の本心では決してありません!」ワタシはその一言で、きっと手違いがあったんだね??と思いました。次回は頑張って下さいよ!!
小渡県議のブログで22歳のワタシにも分かるようにご説明していただき、選挙の大変さを痛感しています!
ワタシは、東門みつこ市長の4年間をじっくり見せてもらい、市がどうなるのか見てみたい!そして4年後、再びくわえ朝千夫さんを市長候補になり戦って欲しいです!
くわえ朝千夫さん、頑張りましたね。2000票位の差だったんですね・・・。
くわえ朝千夫さんを支持していた私からしては、残念な結果におわりました。
この2000票は、若者やタシマンチュの票だと思います。くわえ朝千夫さんのチラシ?に「若者・バカモノ・ヨソ者」?でしたか?書かれているのを見ました。私の周りの友達も見てビックリしてました。皆で事務所に電話して、この文章の趣旨を確認しました。20代前半位の若いオネェさんが丁寧な対応で申し訳なさそうに対応してました。「これは、くわえ朝千夫の本心では決してありません!」ワタシはその一言で、きっと手違いがあったんだね??と思いました。次回は頑張って下さいよ!!
小渡県議のブログで22歳のワタシにも分かるようにご説明していただき、選挙の大変さを痛感しています!
ワタシは、東門みつこ市長の4年間をじっくり見せてもらい、市がどうなるのか見てみたい!そして4年後、再びくわえ朝千夫さんを市長候補になり戦って欲しいです!
Posted by 向日葵 at 2006年05月05日 02:30