プロフィール
オド 亨
沖縄市選出の前・沖縄県議会議員、オド亨です。

政治家は誰がやっても同じ、誰がやっても世の中は変わらない、とよく言われますが、本当にやる気のある政治家が一人でもいれば、必ず何かが変わります。
私は、正直・決断・実行をモットーに、自らが信じる道と有権者の皆様の声を世の中に反映していくため、誠心誠意頑張っていきたいと思っております。

よろしくお願いいたします。
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2009年11月24日

カンボジア旅行記

 ご無沙汰しております、小渡亨です。


 11月11日~15日の間、私の後援会組織の一つである一金会(丸善組とその関連企業)の親善旅行で、カンボジア王国に行ってきました。

 カンボジアは、東南アジア各国の中でも日本からの定期直行便がない国のため、台湾経由のチャーター機でシェムリアップ国際空港より入国しました。
 カンボジアといえば、世界遺産であるアンコールワット・アンコールトムの遺跡群が有名で、9~15世紀にインドシナ半島を支配していたクメール王朝の栄華の名残を残す密林の中の石造建築物群は、他では決して見られない特異で素晴らしいものです。

 アンコールワット
カンボジア旅行記
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 アンコールトム ※アンコールトムは密林の中にあり、遺跡は成長した樹木に覆われている
カンボジア旅行記
カンボジア旅行記カンボジア旅行記
カンボジア旅行記
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 また、1970年3月のクーデターに端を発するカンボジア内戦による、特に1975年に発足した共産主義勢力『クメール・ルージュ』の独裁者、ポル・ポト政権下で行われた虐殺と旱魃・飢餓による国民の死者数は200万人を超えるとも言われており、その爪痕が今もプノンペン市内だけでなくカンボジア全土に色濃く残っています。
 その中でも市街地中心部にあった学校施設をそのまま使用したトゥール・スレン収容所での残虐行為は、約2万人が収容されたにもかかわらず生還者はたったの8人のみと伝えられるほど悲惨の極みであり、キリングフィールドと呼ばれる処刑場には今でも大量の人骨が無造作に積み上げられ、またそこかしこで土に混じった骨や衣類が散見される程であります。

 キリングフィールド内、うず高く積まれた人骨
カンボジア旅行記
 収容所の外観
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 さて、様々な歴史遺産等の観光以上に今回の旅行で最も有意義だったのは、今回同行してくれた沖縄・カンボジア友好親善調整官の永山清氏の友人であるカンボジア王室皇太子・SISOWATH Chakrey Noukpol氏との、プノンペン市内での夕食懇談会でした。
 皇太子はシアヌーク元国王の孫にあたり、現カンボジア王室の責任者をされている方です。

 プノンペン市内
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 カンボジア王宮
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旅行参加者
左側から 金城光男 親田功 城間明政 桑江健 小渡亨 永山清 伊波興正
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 懇談会の様子
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 皇太子と
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 彼の話によると、日本やアメリカをはじめとするいわゆる西側諸国はタイやベトナムとの関係が深く、現在タイと緊張状態にあるカンボジアとしては、生き残るために中国や北朝鮮との友好を深めている、とのことでした。
 また王室については、立憲君主制を布いてはいるものの日本の皇室の在り方に習い『国家の象徴』としての存在であることを選択し、政治権力とは距離を置いてるとのことでした。
 現在のカンボジアは、内戦の最中に官僚や学者、資本家、技術者、留学から帰国した者、伝統芸能に携わる者等々、農民以外の国民はすべて処分の対象となり、財産や身分の剥奪、または処刑されたため、いわゆる『知識人』が極端に少なく、1992年、UNTAC(明石康国連代表)によりカンボジア王国がスタートして以後いまだに国を動かす人材が不足しているという深刻な問題を抱えているそうです。

 わが国では甚大な被害を受けた先の大戦後、優秀な先達が驚異的なスピードで国を立て直し、奇跡的な復興を遂げたことを思い返すと、武田信玄の言葉にあるように『人は城、人は石垣、人は堀』、つまり国家を支えるのは人であり、国家繁栄のためには人材育成が肝要なのだということをあらためて痛感した一言でした。


 近年、特に在沖米軍の幹部との交流を通して感じていることなのですが、たとえ国家間の外交であってもその交渉相手は『国』という漠然とした大きな存在ではなく目の前にいる『人』であり、人と人とのコミュニケーションの積み重ねが重要ですから、沖縄の主体性を維持していくため、日本の国益を確保するためには、政治家としてだけでなく一個人としてもそれぞれ交渉相手との意思疎通を心掛け、良好な信頼関係を築いていく必要性があることを、今回の皇太子との懇談で強く感じました。

 「北風ではなく太陽であれ」
拒絶ではなく対話を重ねること、日常生活でも政治活動でも選挙でもなんでも、人と人とのコミュニケーションこそが大切であること、あらためてそれに気付かされたとても有意義なカンボジア旅行でした。



Posted by オド 亨 at 19:31│Comments(3)
この記事へのコメント
有意義な旅行になられて何よりです。

でも…

ちゅ(^з^)-☆Chu!!も連れてって欲しかったです。うそ?

今回の旅行を糧にして、頑張ってください。
Posted by ちゅ(^з^)-☆Chu!! at 2009年11月24日 19:41
大変、お疲れ様でした。
小生も十数年前カンボジアへ訪問しました。
アンコールワットの急階段がきつかったと記憶してます。今後の参考までに革手袋が有ると重宝すると思います。
では、頑張って下さい。
Posted by 炎の会  at 2009年11月25日 09:25
12/16日、沖縄市民会館で、田母神サンの講演会に参加なさいましたか?最前列で、小渡さんに、よく似た人を見たような気がしたもので、、違っていたらすみません。
Posted by 石原昌光 at 2009年12月18日 17:14
 
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