2011年05月31日
硫黄鳥島について
最近、『硫黄鳥島』という島が注目を浴びています。
それは、北沢防衛大臣が今月23日に開かれた沖縄政策協議会で、米軍が現在使用している久米島町内の鳥島射爆場を同町硫黄鳥島に移転させることを検討している、と発言したからです。
私としては、地元自治体に説明もなく一方的に出されたこの提案には反対です。
私と硫黄鳥島の縁は、自衛隊勤務時代にさかのぼります。
海上自衛隊の対潜哨戒機『P-2J』のパイロットとして勤務していた私は、海自第5航空隊在籍時、東シナ海の哨戒監視が主な任務でした。
その8時間程度の哨戒フライトの中で必ず硫黄鳥島の上空を飛行しており、その他の島にはない特異な光景を目にする度に「一度は直接上陸してみたいなあ」と思っていたものです。
結局初上陸を果たすのは自衛隊退官後だったのですが、その後も何度か硫黄鳥島を訪れています。
硫黄鳥島の位置。以前使用した航跡図。(クリックで拡大)
慶良間諸島西方にあるのが久米島、そのほぼ真北にあるのが鳥島。


航空写真。
硫黄鳥島は、徳の島の西65km・与論島の北90kmにある無人島で、沖縄県最北端の島であり、県唯一の活火山がある島です。
島の周囲は7.3km、面積は2.50㎢、だいたい津堅島の1.3倍程度の大きさです。
最大標高は212m、砂浜のない石灰岩質の島で、周囲はすべて崖となっており、上陸には大変苦労します(下四段目の写真参照)。
硫黄鳥島には北と南に山があり、南の山(グスク山)はカルデラ状の古い火山で現在は活動していませんが、北の山(硫黄岳)は現在も噴煙を噴き上げており、ここから噴出する硫黄のにおいで島全体が包まれています。
かつて硫黄の採掘がおこなわれていたころには人口も600人超を数え、小学校もあったそうですが、1959年と1967年の噴火により無人化しています。
当時島にいた人たちは主に久米島に移住したため、200kmあまりも離れているにもかかわらず久米島町の行政管轄区となっています。
以下、クリックで拡大。


島(南側)遠景
上陸地点付近。
リーフの割れ目から侵入。
海が黄色に濁っているのは硫黄が溶け込んでいるため。


かつての桟橋にゴムボートにて上陸。



桟橋跡近辺。画像左側の急峻な崖(約60m)を登る。
島南部を臨む。
付近には家屋跡。画像中央には野山羊の姿も。
島北部。写真奥は硫黄岳の火口。その手前には作業小屋らしき廃墟。
硫黄岳火口を臨む。硫黄のプールが見える。
高台から海を臨む。今回参加したメンバーは、向かって左からいとこの小渡兵衛、
同じく小渡敬、私、うちの職員の仲地光路。あともう一人平和病院の職員が参加していた。
奥に見えるのは今回使用したクルーザー。
硫黄鳥島に行く船はもちろんないため、この時は釣りを兼ねて行ってきました。
泡瀬マリーナから約200km、波高くかなり揺れる航海でしたが、時にイルカが並走したりしてとても楽しい航海でした。
実際に硫黄鳥島に上陸してみての感想としては、琉球王朝時代から硫黄採掘場としての歴史がある島であり、一方で人の手を離れて久しいためとても自然が豊かで、特に山羊が多く生息しています。
また国内でもあまりないと思われる独特の景観を有しています。
島の東側には温泉もあり、安易に射爆場とするにはいささかもったいな気がしますが、さて今後はどのようになることでしょうか。
それは、北沢防衛大臣が今月23日に開かれた沖縄政策協議会で、米軍が現在使用している久米島町内の鳥島射爆場を同町硫黄鳥島に移転させることを検討している、と発言したからです。
私としては、地元自治体に説明もなく一方的に出されたこの提案には反対です。
私と硫黄鳥島の縁は、自衛隊勤務時代にさかのぼります。
海上自衛隊の対潜哨戒機『P-2J』のパイロットとして勤務していた私は、海自第5航空隊在籍時、東シナ海の哨戒監視が主な任務でした。
その8時間程度の哨戒フライトの中で必ず硫黄鳥島の上空を飛行しており、その他の島にはない特異な光景を目にする度に「一度は直接上陸してみたいなあ」と思っていたものです。
結局初上陸を果たすのは自衛隊退官後だったのですが、その後も何度か硫黄鳥島を訪れています。

慶良間諸島西方にあるのが久米島、そのほぼ真北にあるのが鳥島。


航空写真。
硫黄鳥島は、徳の島の西65km・与論島の北90kmにある無人島で、沖縄県最北端の島であり、県唯一の活火山がある島です。
島の周囲は7.3km、面積は2.50㎢、だいたい津堅島の1.3倍程度の大きさです。
最大標高は212m、砂浜のない石灰岩質の島で、周囲はすべて崖となっており、上陸には大変苦労します(下四段目の写真参照)。
硫黄鳥島には北と南に山があり、南の山(グスク山)はカルデラ状の古い火山で現在は活動していませんが、北の山(硫黄岳)は現在も噴煙を噴き上げており、ここから噴出する硫黄のにおいで島全体が包まれています。
かつて硫黄の採掘がおこなわれていたころには人口も600人超を数え、小学校もあったそうですが、1959年と1967年の噴火により無人化しています。
当時島にいた人たちは主に久米島に移住したため、200kmあまりも離れているにもかかわらず久米島町の行政管轄区となっています。
以下、クリックで拡大。





海が黄色に濁っているのは硫黄が溶け込んでいるため。






桟橋跡近辺。画像左側の急峻な崖(約60m)を登る。





同じく小渡敬、私、うちの職員の仲地光路。あともう一人平和病院の職員が参加していた。
奥に見えるのは今回使用したクルーザー。
硫黄鳥島に行く船はもちろんないため、この時は釣りを兼ねて行ってきました。
泡瀬マリーナから約200km、波高くかなり揺れる航海でしたが、時にイルカが並走したりしてとても楽しい航海でした。
実際に硫黄鳥島に上陸してみての感想としては、琉球王朝時代から硫黄採掘場としての歴史がある島であり、一方で人の手を離れて久しいためとても自然が豊かで、特に山羊が多く生息しています。
また国内でもあまりないと思われる独特の景観を有しています。
島の東側には温泉もあり、安易に射爆場とするにはいささかもったいな気がしますが、さて今後はどのようになることでしょうか。
Posted by オド 亨 at 18:50│Comments(2)
│その他のこと
この記事へのコメント
無人島だからと安易な考えでしょう。
Posted by よな太郎 at 2012年04月30日 21:23
無人島だからと安易な考えでしょう。
Posted by よな太郎 at 2012年04月30日 21:23