2011年07月06日
有害獣捕獲について
7月2日土曜日、渡嘉敷村からのイノシシ捕獲の依頼があり、県知事から有害鳥獣捕獲の許可(第23本庁119号)を受けて、(社)沖縄県猟友会中部支部のメンバーで慶良間諸島の渡嘉敷島に行ってきました。
渡嘉敷村のイノシシは5~6年前に島民が飼育していたイノシシが逃げ出したもので、山林で増殖し、山の生態系への悪影響と、村道において観光客へ危害を与える恐れが出てきたための実施です。
渡嘉敷島にはイノシシの天敵(野犬等)がおらず、今のところ農作物への被害はありませんが、今後可能性は十分にあり、実際山に入ると野生化した山羊とイノシシの天国のような様相を呈していました。
厳しい猛暑の中、ハブが数多く生息する山中にて薮蚊と戦いながらの捕獲作業で、特にハブについては、待機中にほんの数メートル先を横切ったり、こっちに向かってくるのを木の枝で追っ払ったり、以前から話には聞いていたものの本当にそこら中にいるんだな、と実感しました。

渡嘉敷港を臨む。渡嘉敷島は平地が少なく、ほとんどが山林に囲まれています。

渡嘉志久湾。この美しい海を囲む周りの山すべてが猟場となっています。

捕獲したイノシシ。かなりの大物です。

猟犬。イノシシ猟では猟犬は必須です。
イノシシはとても警戒心が強いため、猟犬で追い込まなければ人前に姿を現すことはありません。
ちなみに今年6月に行った捕獲作業では、猟犬の内一頭がハブに咬まれて重傷を負っています。

解体処理前。物珍しさからか、観光客もイノシシを見にきていました。

今回の宿泊先。一部屋に皆でごろ寝でした。

渡嘉敷村指定の有形文化財「根元家の石垣」。
説明文にも書いてあるように、精巧な組み合わせは見事です。
そして、渡嘉敷島と言えば先の大戦の際に「軍命による集団自決があったか否か」という議論の的となっています。
私としては、当時の情勢や資料等の調査の結果、日本軍による住民に対する自決の命令はなかったものと考えています。
この話を語ると長くなってしまうので詳しくは別に機会にいたしますが、軍命があったとする定義は地域や人の状況によって様々な例があり、その多くは解釈が恣意的です。
また「軍関与」などと言う曖昧な言葉をもって強制があったとするいささか乱暴な論もあり、著しく客観性に欠けている気がします。
ただし、渡嘉敷島においては300名余の島民が実際に集団で死亡しており、悲劇が起ったことは事実です。
私としては、沖縄戦において島民を巻き込んだ悲惨な戦闘が繰り広げられたことを受けて、このような悲劇を二度と繰り返さないよう努力していくことはとても大切なことだと思いますが、現在は結果としての悲劇性の側面でしか沖縄戦が語られず、「我々の先人達がどのような思いでどのように戦ったのか」「そもそも沖縄戦はなぜ起こったのか、原因は何か」という客観的な歴史的視点で沖縄戦が語られることがあまりないことについて、とても残念に思います。
歴史の正当評価は私のライフワークのひとつでもありますから、これからもしっかりと学び、広く伝えていこうと思っています。

海上挺進第三戦隊の特攻艇「マルレ」秘匿壕跡
マルレ(正式名称・四式肉薄攻撃艇)は20ノット(時速37キロ)の高速で敵艦に体当たりする一人乗りの特攻兵器で、日本陸軍の秘密兵器。

集団自決跡地の碑。碑の後方の谷間に現場がある。
渡嘉敷村のイノシシは5~6年前に島民が飼育していたイノシシが逃げ出したもので、山林で増殖し、山の生態系への悪影響と、村道において観光客へ危害を与える恐れが出てきたための実施です。
渡嘉敷島にはイノシシの天敵(野犬等)がおらず、今のところ農作物への被害はありませんが、今後可能性は十分にあり、実際山に入ると野生化した山羊とイノシシの天国のような様相を呈していました。
厳しい猛暑の中、ハブが数多く生息する山中にて薮蚊と戦いながらの捕獲作業で、特にハブについては、待機中にほんの数メートル先を横切ったり、こっちに向かってくるのを木の枝で追っ払ったり、以前から話には聞いていたものの本当にそこら中にいるんだな、と実感しました。
渡嘉敷港を臨む。渡嘉敷島は平地が少なく、ほとんどが山林に囲まれています。
渡嘉志久湾。この美しい海を囲む周りの山すべてが猟場となっています。
捕獲したイノシシ。かなりの大物です。
猟犬。イノシシ猟では猟犬は必須です。
イノシシはとても警戒心が強いため、猟犬で追い込まなければ人前に姿を現すことはありません。
ちなみに今年6月に行った捕獲作業では、猟犬の内一頭がハブに咬まれて重傷を負っています。
解体処理前。物珍しさからか、観光客もイノシシを見にきていました。
今回の宿泊先。一部屋に皆でごろ寝でした。
渡嘉敷村指定の有形文化財「根元家の石垣」。
説明文にも書いてあるように、精巧な組み合わせは見事です。
そして、渡嘉敷島と言えば先の大戦の際に「軍命による集団自決があったか否か」という議論の的となっています。
私としては、当時の情勢や資料等の調査の結果、日本軍による住民に対する自決の命令はなかったものと考えています。
この話を語ると長くなってしまうので詳しくは別に機会にいたしますが、軍命があったとする定義は地域や人の状況によって様々な例があり、その多くは解釈が恣意的です。
また「軍関与」などと言う曖昧な言葉をもって強制があったとするいささか乱暴な論もあり、著しく客観性に欠けている気がします。
ただし、渡嘉敷島においては300名余の島民が実際に集団で死亡しており、悲劇が起ったことは事実です。
私としては、沖縄戦において島民を巻き込んだ悲惨な戦闘が繰り広げられたことを受けて、このような悲劇を二度と繰り返さないよう努力していくことはとても大切なことだと思いますが、現在は結果としての悲劇性の側面でしか沖縄戦が語られず、「我々の先人達がどのような思いでどのように戦ったのか」「そもそも沖縄戦はなぜ起こったのか、原因は何か」という客観的な歴史的視点で沖縄戦が語られることがあまりないことについて、とても残念に思います。
歴史の正当評価は私のライフワークのひとつでもありますから、これからもしっかりと学び、広く伝えていこうと思っています。
海上挺進第三戦隊の特攻艇「マルレ」秘匿壕跡
マルレ(正式名称・四式肉薄攻撃艇)は20ノット(時速37キロ)の高速で敵艦に体当たりする一人乗りの特攻兵器で、日本陸軍の秘密兵器。
集団自決跡地の碑。碑の後方の谷間に現場がある。
Posted by オド 亨 at 18:48│Comments(1)
│その他のこと
この記事へのコメント
「軍命による集団自決があったか否か」
実際に「手榴弾を配布し、自決の為の使用方法を説明した」事を、証言する現場の生き残った当事者が居たにもにも拘らず、「著しく客観性に欠けている」なんて寝惚けた事を言ってるから、政治家として信用されないのですよ。
この件で「客観的な視点」を持つ人とは、沖縄戦に巻き込まれなかった当事者じゃない人達の事ですよ。
実際に「手榴弾を配布し、自決の為の使用方法を説明した」事を、証言する現場の生き残った当事者が居たにもにも拘らず、「著しく客観性に欠けている」なんて寝惚けた事を言ってるから、政治家として信用されないのですよ。
この件で「客観的な視点」を持つ人とは、沖縄戦に巻き込まれなかった当事者じゃない人達の事ですよ。
Posted by 現地人 at 2018年04月28日 21:13