戦争責任を考える

オド 亨

2006年08月14日 17:40

明日8月15日は、終戦記念日です。
巷では、小泉総理の靖国参拝に関して、公的か私的か、という論議がさかんに巻き起こり、また中韓両国の反発に対してマスコミが針小棒大に煽り立てる、というある意味一大イベント的な扱いで、騒がれております。

靖国神社とは、『近代以降の日本が関係した国内外の全ての戦争・事変において、国家の為に戦役に付し、戦没した軍人・軍属等を顕彰・崇敬等の目的で祭神として祀る』、神社であります。
去った大戦での、軍人・軍属の戦死者約230万人、地上戦・原爆・空襲等で死亡した民間人約80万人、合わせて310万人、という尊い犠牲の上に成り立っている今日の世界で最も平和な国・日本国ですが、戦争責任とは一体何なのか、そして誰の責任なのか、戦後60年を経た今となっても、曖昧にして未だ結論は出ておりません。


今現在、国内外における一般的な論調では、戦争責任は、戦勝国の敗戦国・日本に対する極東軍事裁判において、一方的に『A級戦争犯罪人』として処刑された7名の軍人と1人の首相を含めた当時の国家指導者に集約されています。

一般的に戦争犯罪とは、1.『平和に対する罪』、2.『通例の戦争犯罪』、3.『人道に対する罪』、であると定義されておりますが、ニュルンベルクにおいても極東国際軍事裁判においても、敗戦国の人間に対しての罪しか裁かれておらず、つまりは、定義はさておき『戦争犯罪人』という概念は、あくまで戦勝国による敗戦国に対しての中て付けである、と言っても過言ではない気がします。

だから、歴史に『もしも』はありえませんが、もし先の大戦で日本が連合国に勝利していたとしたら、戦犯として裁かれた人々は英雄として存在し、逆に米国大統領は、広島・長崎に原爆を投下し、また戦略爆撃により非戦闘員を無差別且つ大量に虐殺したとして、ハーグ陸戦条約・ジュネーブ条約違反等で『超A級戦犯』として処刑されていたであろう、と考えられます。


戦犯の名誉回復は、サンフランシスコ講和条約をめぐる国会論議や昭和28年の国会における赦免決議、昭和33年の全員釈放でなされており、それに関して国際的にも一切の異議異論は出されておりません。
『A級戦犯』として服役した後に国会議員となり、国連総会で初の日本代表として演説した重光葵外務大臣が良い例であります。
また訴追を免れたA級戦犯被指定者の中には、その後内閣総理大臣となった岸信介、読売新聞の正力松太郎等がおり、やはり『戦犯』という概念に対する個人の名誉の回復は、すでになされていると言えるでしょう。

百歩譲って、A級戦犯として処刑された7人が戦争犯罪人だとしても、彼らはすでに極刑という最も厳しい罰を受け、死亡しております。
刑に服しても尚、「かつてA級戦犯だった!」ということで永劫非難される、ということは、それは重大な人権問題だと考えられますし、それ以上に、『刑』という概念が全く意味を成さないものに、もっと言えばそれを規定する『法』というものですら形骸化したものとなってしまう、という重大な問題を孕んでいる気がします。


国内外から「戦争責任」を転嫁された当時の指導者達の真の責任は、「世界情勢を的確に判断できず、国家戦略またはそれを遂行する方策を誤り、そのために敗戦という結果をもたらし、国家を破綻させた」ことに尽きると、私は考えます。
今現在の状況は、「戦争責任」というものの本当の意味を考えずに、ただ「A級戦犯」という言葉だけに踊らされているような気がしてなりません。

最早年中行事と化したこの不毛な「A級戦犯論議」でありますが、「戦争犯罪」とそれに関連する「A級戦犯」というものを正しく認識するためには、中韓両国の不当な内政干渉と切り離して考えるべきであり、また我々日本国民が国際社会で生きていくためには、しっかりとした結論を出しておかなければならないことだと、私は考えます。


誇りなき民に真の繁栄はありえません。
臭いものには蓋をするのではなく、自らの国が歩んできた道程を知り、善きも悪きも全て受け入れること、そしてその上で胸を張って歩いていくこと、これが国民としての誇りに繋がる、と私は考えます。

明日は終戦記念日(=敗戦記念日)です。
これをいい機会に、あらためてこのことについて考えてみてはいかがでしょうか。

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