沖縄市長選挙結果について

オド 亨

2006年05月01日 16:58

 昨年10月の保守系市長候補選考から、沖縄市長選挙に関わってきた私として、結果的に今回敗北を喫してしまった事は、極めて残念であります。
保守市政を引き継いでいくことの難しさを、特に候補者が複数名いる場合の、一本化作業の難しさを、強く実感させられました。

 この苦い敗戦の主な要因を、私なりにまとめてみると、以下の通りに、集約できると思います。

① 桑江候補とその後援会には、市議選の経験しかなく、本人・後援会長を含め後援会そのものを、市長選挙レベルにまで拡大し、新しい支援者を獲得しようとする発想が極めて少なかった。(西田氏や公明の取り込みの遅れにそれが表れている)

② 仲宗根現市政では社大党も与党であるにも拘らず、社大党に対する積極的な協力要請等の働きかけがなく、結果的に相手陣営に回ってしまった。

③ 2回の公開討論会を実施しているが、我が陣営が主催した最初の討論会で、本人の準備不足・経験不足のため惨憺たる結果を残してしまった。

④ 沖縄市の主要プロジェクトである東部海浜開発事業について、相手候補の反応の変遷(衆議院議員時代は明確に反対意見を述べ続けているにも拘らず、今回は非常に曖昧な態度に変わっていた)を、政策でも討論会でも争点にすることが出来なかった。

⑤ 県内建築業者(特Aクラス)に対する、公正取引委員会による談合事件の摘発により、従来の組織立った選挙態勢を構築することが出来なかった。

⑥ 自民党本部と自民党県連は、連携して自由連合の取り込みを模索していたが、時間が足りずに不発に終わった。

⑦ 若い経営者等を中心とするグループが積極的に応援を展開していたが、選挙に不慣れなために十分に力を発揮することが出来なかった。

⑧ 昨年12月25日に市長候補として選考されたにも関わらず、保守系が完全に一本化されたのが、投票日40日前の3月13日、公明党から支援を取り付ける政策協定を結んだのが投票日1ヶ月を切った3月27日と、まとめるのにあまりにも時間がかかりすぎた。


 また、今回の沖縄市長選挙には明確な政策による争点はなく、確固たる政治姿勢・政策を示し、それを市民に訴えかけていく、という選挙ではなく、保守ですか?それとも革新ですか?といった、ある意味浮動票を獲得することが難しい選挙でありました。投票率の低さを見ても、それが表れているような気がします。
 そのような選挙ではやはり、副知事や衆議院議員を2期も経験している相手候補が数枚以上、上手であった感がします。


 自民党県連・公明党県本は今回の選挙でも自公態勢を堅持し、来たる11月の沖縄県知事選に向けての前哨戦と位置づけ、知事選並みの応援(党本部からの国会議員の応援40名余、各種政治連盟への強力な働きかけなど)・物心両面の支援を、わずか一ヶ月足らずで実施してくれました。
 1月30日の出馬表明と2月8日の事務所開きの状況、その後のくわえ選対の状況、そして上記の私なりのまとめを鑑みますと、2000票差というのは、政党としては善戦であったと、私は見ています。

 4年後市政を奪回するためには、今回の選挙に関わったくわえ選対の沖縄市民が、真剣に総括を実施し、敗因を冷静に分析し、皆が共通した敗因意識を持つことが最も大切であると、私は考えます。

 最後になりますが、応援してくださいました市民をはじめ、自民党県連・公明党県本その他関係した皆様方に心から感謝するとともに、負けてしまったことに対して、心からお詫び申し上げます。


心機一転、11月の沖縄県知事選挙に向けて、頑張って行きましょう!

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