基地問題について ①

オド 亨

2007年04月24日 16:36

平成19年3月1日に行われた県議会定例会で、基地問題についての一般質問を行いました。

今日、沖縄県政において懸案事項となっている在沖米軍基地問題が解決に向けて大きく進展していこうとしている中、しかしながらその問題は『感情論』と言い切ってしまっても過言ではないほどの一元的な見方のみで語られております。

その中でも特に私が問題視しているのは、平成2年から8年間続いた大田県政の中で、米軍基地について、いくつかの事例において革新知事にとって都合の良い事実の曲解があり、それがそのまま定着してしまっていることです。
それらは、『解釈より解決を』を標榜した稲嶺県政に変わった後も正される事はなく、マスコミ等でも、この事実の曲解が当たり前の真実であるかのような扱いをされています。


そこで私は、先述した一般質問において、この事実の曲解について県に問い質しました。
その質問と答えを、順を追ってひとつひとつ紹介していきたいと思います。

まずはじめに、米軍基地の成り立ちについて。


『沖縄の米軍基地は、全て銃剣とブルドーザーで強制接収された。』
とても有名なフレーズでありますが、これは事実ではありません。

『銃剣とブルドーザー』という言葉が象徴する、県民の意思とは関係ない軍用地の強制接収は、確かにありました。
しかしそれは極々小規模なものであり、基地全体の0.8%程度にしか過ぎないものです。
逆に、県民自らが軍用地の提供を申し出て、米軍基地を誘致した土地は、全体の10%を超えており、その中には大田元知事が在職中に提供した土地も含まれています。


針小棒大も甚だしいこのフレーズは、しかしながら今では基地の成り立ちについての常識になっております。
そこで、私は以下の5点について、県議会で質問しました。

① 銃剣とブルドーザーで接収された、と言われる土地はどこか。
② その具体的な場所・面積及びその割合、また現在も使用されている場所とその割合。
③ 沖縄県民が進んで土地を提供し、基地を誘致した場所とその面積
④ 返還された軍用地を、自ら再提供した土地の場所と面積
⑤ 大田元知事が在職中に提供した土地の場所と面積
⑥ ③~⑥の、積極的に提供・誘致した基地の面積及び全体に占める割合



その答えは、以下の通りです。(知事公室長答弁)

 ①~②について、一括答弁
銃剣とブルドーザーで強制接収された土地は、真和志村が約17万坪で200戸、小禄村が約1万五千坪で28戸、宜野湾村が約13万坪で32戸、伊江村が約22万1千坪で13戸となっております。
これらを合計すると約177ヘクタールになり、現在の米軍基地面積(2万3千303ヘクタール)の内約0.8%に相当します。
また、真和志村銘苅地域(牧港住宅地区)については全面返還され、小禄村具志については現在那覇空港として使用されており、伊江村(伊江島補助飛行場)や宜野湾村(キャンプ・瑞慶覧)は部分返還されておりますが、これらの接収された土地の現在の米軍の使用状況については、正確に確認できないことなどから詳細は把握できておりません。

 ③について
刊行物などによりますと、「辺野古誌」(辺野古区事務所発行)では、昭和31年にキャンプ・シュワブの建設のため、久志村辺野古一帯を新規に村長自らが提供した際、同意した事例として、約254ヘクタール、さらに「金武町と基地」(金武町発行)では、昭和32年に金武村において、新規提供800ヘクタール余を受け入れたとされております。

 ④について
キャンプ・コートニーにおいて、昭和58年10月31日に29.5ヘクタールが返還されましたが、沖縄自動車道の延伸に伴い、その工事に係る米軍住宅の代替地として翌日11月1日に23.8ヘクタールが追加提供されております。
その他に、キャンプ・コートニーでは、昭和46年6月30日に部分返還された土地について、地籍が確定されていないなどの事情から、地主会の再使用の陳情により、昭和50年5月1日に海上自衛隊に、約17.1ヘクタールを賃貸しております。
また、知花サイト、嘉手納弾薬庫地区において、共同使用が解除され、陸上自衛隊が継続使用しており、平成8年に返還された知花サイトの残りの部分も、平成12年より陸上自衛隊の訓練用地として再提供されております。

 ⑤について
大田元知事が在職していた平成2年12月10日から平成10年12月9日の間に追加提供された米軍施設の面積は、嘉手納弾薬庫地区、嘉手納飛行場、ホワイト・ビーチ地区の3施設、合計約1.6ヘクタールとなっております。

 ⑥について
先に答弁しましたように、提供・誘致した面積が約1千54ヘクタール、再提供された面積が約23.8ヘクタール、大田元知事在職中に追加提供された面積が約1.6ヘクタールとなっており、合計すると1千79ヘクタールで、現在の米軍基地面積の約4.6%に相当します。


つまりは、強制接収はあったものの、それは0.8%というごく限られた場所についてであり、むしろ進んで提供された事例が数多くある、ということです。

今沖縄は、普天間をはじめとした基地の危険性の除去や基地負担の軽減を主眼とした米軍基地再編の真っ只中にあります。
だからこそ、『米軍基地』が戦後60年余、沖縄の政治・経済・民生に与えてきた功罪を今一度正しく理解し、さらには我が国の平和と繁栄および極東アジアの安定に対する影響を総合的に理解して、その上で問題に取り組んでいかなければ、後々に大きな禍根を残してしまうかもしれません。


適正な事実認識の上にのみ、適切な判断は成り立ちます。
曲解が後世でもまかり通る事のないよう、今後もしっかりと正していきたいと思います。

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