プロフィール
オド 亨
沖縄市選出の前・沖縄県議会議員、オド亨です。

政治家は誰がやっても同じ、誰がやっても世の中は変わらない、とよく言われますが、本当にやる気のある政治家が一人でもいれば、必ず何かが変わります。
私は、正直・決断・実行をモットーに、自らが信じる道と有権者の皆様の声を世の中に反映していくため、誠心誠意頑張っていきたいと思っております。

よろしくお願いいたします。
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Posted by TI-DA at

2012年04月12日

2012年6月10日執行予定の沖縄県議会議員選挙について

ご無沙汰しております、小渡亨です。
このブログに投稿するのも10ヵ月ぶりであります。

近況についてですが、前回の衆院選の敗北以降、私は自身の進退について色々と考えていました。
「もう一度国政を目指しては」というありがたい言葉もいただきましたし、「市議会で頑張る息子に任せては」という声もありました。
しかし私は、昨今の基地問題や尖閣諸島問題等、国境の県として『安全保障』についての問題が噴出する沖縄の現状、特に民主政権に代わって以降とても真剣とは思えない政府の対応を一般市民の立場からしか見ることが出来ないことに歯痒い思いをし続けてきたこと、また『県土の均衡ある発展』と言われながらも政治力が足りず、人口以外は経済も雇用も教育も何もかも低迷を続ける沖縄市をこれ以上放っておけないこと、そして今まで私を支援してくれた方々や私を育ててくれた方々に対しまだ十分に恩返しが出来ていないことなどから、県政へ復帰することを決意いたしました。


今、沖縄は歴史的に大きな岐路に立っていると私は考えています。
復帰後40年が経過した沖縄では、未だに『復帰後』が終わっていません。

沖縄を取り巻く環境は、尖閣諸島における領土問題や東シナ海におけるガス等の資源に関する問題など対外的な脅威にさらされており、また県内は一向に解決に向かう兆しの見られない在沖米軍基地に関する諸問題、全国最低クラスの最低賃金と就業率と教育レベルの問題、空港も港も飽和状態になりつつある現状、そして積年の課題である『自立経済の構築』などと言った、様々な問題が山積しています。
発展に資するべく調達され、期待されている『一括交付金』についても、事業展開はおろか要綱すらまだ出来ていないのが現状です。
しかしながら政治を見てみると、いつまでも基地や環境問題について『賛成か反対か』ということだけを議論し続け、北朝鮮のミサイルの脅威にさらされてもなお『反戦平和』のお題目のもとにイデオロギー闘争を展開する人々が蔓延り、本当に必要なことが置き去りにされています。

もしそれらを変えることが出来なければ、いずれ沖縄の発展は頭打ちになります。
時間は待ってはくれません。

沖縄がいつまでも素晴らしく誇れる故郷であり続けるために、次代を担う若者たちが背負う負担を出来るだけ少なくしていくために、私は残された時間をすべてつぎ込み、県政をしっかりと支え、全力をもって諸問題に取り組んでいく所存であります。


掲げる政策等についてはまた日をあらためて投稿いたしますが、まずは私の意気込みに理解を賜りたいと思います。

あらためて、頑張ってまいります!



なお、最近活動をしている中で私の体調を心配する声が聞こえますが、確かに年末年始に少し体調を崩しはしたものの、その後医者から「選挙活動や政治家の執務には何の影響もない」お墨付きを得ているので、ご安心ください。  


Posted by オド 亨 at 18:58Comments(4)沖縄県政に関すること

2011年07月06日

有害獣捕獲について

7月2日土曜日、渡嘉敷村からのイノシシ捕獲の依頼があり、県知事から有害鳥獣捕獲の許可(第23本庁119号)を受けて、(社)沖縄県猟友会中部支部のメンバーで慶良間諸島の渡嘉敷島に行ってきました。

渡嘉敷村のイノシシは5~6年前に島民が飼育していたイノシシが逃げ出したもので、山林で増殖し、山の生態系への悪影響と、村道において観光客へ危害を与える恐れが出てきたための実施です。

渡嘉敷島にはイノシシの天敵(野犬等)がおらず、今のところ農作物への被害はありませんが、今後可能性は十分にあり、実際山に入ると野生化した山羊とイノシシの天国のような様相を呈していました。

厳しい猛暑の中、ハブが数多く生息する山中にて薮蚊と戦いながらの捕獲作業で、特にハブについては、待機中にほんの数メートル先を横切ったり、こっちに向かってくるのを木の枝で追っ払ったり、以前から話には聞いていたものの本当にそこら中にいるんだな、と実感しました。



渡嘉敷港を臨む。渡嘉敷島は平地が少なく、ほとんどが山林に囲まれています。


渡嘉志久湾。この美しい海を囲む周りの山すべてが猟場となっています。


捕獲したイノシシ。かなりの大物です。


猟犬。イノシシ猟では猟犬は必須です。
イノシシはとても警戒心が強いため、猟犬で追い込まなければ人前に姿を現すことはありません。
ちなみに今年6月に行った捕獲作業では、猟犬の内一頭がハブに咬まれて重傷を負っています。


解体処理前。物珍しさからか、観光客もイノシシを見にきていました。


今回の宿泊先。一部屋に皆でごろ寝でした。


渡嘉敷村指定の有形文化財「根元家の石垣」。
説明文にも書いてあるように、精巧な組み合わせは見事です。


そして、渡嘉敷島と言えば先の大戦の際に「軍命による集団自決があったか否か」という議論の的となっています。
私としては、当時の情勢や資料等の調査の結果、日本軍による住民に対する自決の命令はなかったものと考えています。

この話を語ると長くなってしまうので詳しくは別に機会にいたしますが、軍命があったとする定義は地域や人の状況によって様々な例があり、その多くは解釈が恣意的です。
また「軍関与」などと言う曖昧な言葉をもって強制があったとするいささか乱暴な論もあり、著しく客観性に欠けている気がします。

ただし、渡嘉敷島においては300名余の島民が実際に集団で死亡しており、悲劇が起ったことは事実です。

私としては、沖縄戦において島民を巻き込んだ悲惨な戦闘が繰り広げられたことを受けて、このような悲劇を二度と繰り返さないよう努力していくことはとても大切なことだと思いますが、現在は結果としての悲劇性の側面でしか沖縄戦が語られず、「我々の先人達がどのような思いでどのように戦ったのか」「そもそも沖縄戦はなぜ起こったのか、原因は何か」という客観的な歴史的視点で沖縄戦が語られることがあまりないことについて、とても残念に思います。

歴史の正当評価は私のライフワークのひとつでもありますから、これからもしっかりと学び、広く伝えていこうと思っています。



海上挺進第三戦隊の特攻艇「マルレ」秘匿壕跡
マルレ(正式名称・四式肉薄攻撃艇)は20ノット(時速37キロ)の高速で敵艦に体当たりする一人乗りの特攻兵器で、日本陸軍の秘密兵器。


集団自決跡地の碑。碑の後方の谷間に現場がある。  


Posted by オド 亨 at 18:48Comments(1)その他のこと

2011年05月31日

硫黄鳥島について

最近、『硫黄鳥島』という島が注目を浴びています。
それは、北沢防衛大臣が今月23日に開かれた沖縄政策協議会で、米軍が現在使用している久米島町内の鳥島射爆場を同町硫黄鳥島に移転させることを検討している、と発言したからです。

私としては、地元自治体に説明もなく一方的に出されたこの提案には反対です。

私と硫黄鳥島の縁は、自衛隊勤務時代にさかのぼります。
海上自衛隊の対潜哨戒機『P-2J』のパイロットとして勤務していた私は、海自第5航空隊在籍時、東シナ海の哨戒監視が主な任務でした。
その8時間程度の哨戒フライトの中で必ず硫黄鳥島の上空を飛行しており、その他の島にはない特異な光景を目にする度に「一度は直接上陸してみたいなあ」と思っていたものです。

結局初上陸を果たすのは自衛隊退官後だったのですが、その後も何度か硫黄鳥島を訪れています。

硫黄鳥島の位置。以前使用した航跡図。(クリックで拡大)
慶良間諸島西方にあるのが久米島、そのほぼ真北にあるのが鳥島。



航空写真。

硫黄鳥島は、徳の島の西65km・与論島の北90kmにある無人島で、沖縄県最北端の島であり、県唯一の活火山がある島です。
島の周囲は7.3km、面積は2.50㎢、だいたい津堅島の1.3倍程度の大きさです。
最大標高は212m、砂浜のない石灰岩質の島で、周囲はすべて崖となっており、上陸には大変苦労します(下四段目の写真参照)。
硫黄鳥島には北と南に山があり、南の山(グスク山)はカルデラ状の古い火山で現在は活動していませんが、北の山(硫黄岳)は現在も噴煙を噴き上げており、ここから噴出する硫黄のにおいで島全体が包まれています。

かつて硫黄の採掘がおこなわれていたころには人口も600人超を数え、小学校もあったそうですが、1959年と1967年の噴火により無人化しています。
当時島にいた人たちは主に久米島に移住したため、200kmあまりも離れているにもかかわらず久米島町の行政管轄区となっています。

以下、クリックで拡大。
 島(南側)遠景

上陸地点付近。 リーフの割れ目から侵入。
                                      海が黄色に濁っているのは硫黄が溶け込んでいるため。

かつての桟橋にゴムボートにて上陸。


桟橋跡近辺。画像左側の急峻な崖(約60m)を登る。





島南部を臨む。付近には家屋跡。画像中央には野山羊の姿も。

島北部。写真奥は硫黄岳の火口。その手前には作業小屋らしき廃墟。

硫黄岳火口を臨む。硫黄のプールが見える。

高台から海を臨む。今回参加したメンバーは、向かって左からいとこの小渡兵衛、
同じく小渡敬、私、うちの職員の仲地光路。あともう一人平和病院の職員が参加していた。
奥に見えるのは今回使用したクルーザー。



硫黄鳥島に行く船はもちろんないため、この時は釣りを兼ねて行ってきました。
泡瀬マリーナから約200km、波高くかなり揺れる航海でしたが、時にイルカが並走したりしてとても楽しい航海でした。

実際に硫黄鳥島に上陸してみての感想としては、琉球王朝時代から硫黄採掘場としての歴史がある島であり、一方で人の手を離れて久しいためとても自然が豊かで、特に山羊が多く生息しています。
また国内でもあまりないと思われる独特の景観を有しています。
島の東側には温泉もあり、安易に射爆場とするにはいささかもったいな気がしますが、さて今後はどのようになることでしょうか。  


Posted by オド 亨 at 18:50Comments(2)その他のこと

2011年04月28日

ご無沙汰しております。

変わらず元気にしております、小渡亨です。
前回(H21.8.30)の衆院選に落選後、細々と政治活動を続けている毎日です。

最近では、縁あって社団法人沖縄県猟友会の副会長及び中部支部長に就任し、国が定めた公益法人制度改革法に基づいて、この組織の新制度への移行を手掛けております。

猟友会とは各都道府県にある組織で、主に狩猟免許の講習委託や有害鳥獣駆除等を行っています。
沖縄ではイノシシやマングース、ハシブトカラス、タイワンシロガシラ、八重山地域ではインドクジャクなど、沖縄固有の貴重種の生息域を脅かしたり、農作物へ被害を与えたりする有害鳥獣がおり、その駆除は必要不可欠のものです。
特にカラスは頭が良く、農作物を荒らすだけでなく養豚場・牛舎などに入って餌を漁ったり、また私たちの姿恰好を覚えてたり逃げ足も速いので、捕獲には時間と体力と忍耐力が必要です。

このように、猟友会の行う事業は公益性の高いものが多々あるため、公益社団法人への移行に向けて準備しているところです。


『おきなわいちば』という雑誌のVol.33(2011年春号)の特集記事の中で私が“森の番人”と紹介されたものですから、写真と共に沖縄県猟友会の紹介を、と思い記事にしました。


〇 名護市数久田の山中にて

〇 記事抜粋


〇 猟友会の仲間と


  


Posted by オド 亨 at 17:06Comments(0)その他のこと

2010年05月11日

口蹄疫問題について

 今、宮崎が口蹄疫のパンデミックに苦しんでいます。

 口蹄疫とは、家畜伝染病予防法により家畜伝染病に指定されている病気で、牛・豚・山羊・羊その他偶蹄類が主に感染する急性の伝染病であります。
 この病気は非常に感染率が高いことで知られ、罹患した家畜は感染の拡大を防ぐために治療をすることなく殺処分となり、伝搬拡大を防ぐために畜産物の輸出ができなくなってしまうため、畜産業に与える経済的影響は甚大なものがあります。

 この口蹄疫、過去では2000年に宮崎と北海道で感染が確認されました。
当時の小渕敬三内閣(4月5日以降は森喜朗内閣)は現地家畜保健衛生所、宮崎県庁と北海道庁および農林水産省畜産局衛生課にそれぞれ口蹄疫防疫対策本部を設立し、迅速に封じ込めと感染拡大阻止にあたったため、被害は宮崎3戸35頭、北海道1戸705頭の殺処分で収束しました。(参考:農林水産省>口蹄疫に関する情報)

 しかし今回の宮崎県における口蹄疫の流行は、4月20日に感染の疑いが確認され公表されたものの、政府はこれについて何の対策も講じない(初動の遅れから封じ込めに失敗、消毒液の確保や配布指示なし等々)ばかりか、4月28日に谷垣総裁が現地を視察し事の重大さを鑑みて自発的に設置した自民党の口蹄疫対策本部の対策申し入れを当日(4月30日)になってキャンセル、対策本部長であるはずの赤松農林水産大臣は4月30日から南米外遊へと出発するという、当該責任者としてあるまじき行動を露呈しています。

 外遊から帰国した赤松大臣はようやく昨日5月10日に現地入りし、東国原宮崎県知事と対応を協議したものの、発生から3週間が経過してすでに処分対象は7万5千頭を超えている(5月11日現在)といわれている中でのこの対応は、前回2000年の発生時には750頭の被害で収束させたことと比べなくても、あまりにも遅すぎると言わざるをえません。


 わが沖縄県も、畜産業が盛んな県です。
 あぐーや石垣牛といったブランド豚・牛は県産品の中でも高い人気を誇り、他府県でも珍重される商品ですし、県産牛乳はアイスクリームやチーズといった様々な製品に加工されて県民の口に入っています。
 県民の食の安全保障、畜産業に携わる人たちの生活の安全保障のことを考えると、今回の鳩山政権の対応の遅さには背筋が寒くなる思いがし、宮崎の状況は他人事ではありません。


 口蹄疫の防疫は、国家の問題です。
 たとえばイギリスでは2001年に口蹄疫の発生が確認された際、約700万頭の羊および牛の殺処分が行われ、総選挙をはじめ予定されていたイベントの多くが延期となりました。
 2007年時の流行時には、EUは英国からの家畜の輸入は全面禁止し、わが国も豚肉等の輸入を一時停止しています。
 また今回の流行を受けて国際連合食料農業機関は、口蹄疫の流行によりすべての国が感染のリスクにさらされているため厳重な警戒を呼び掛け、日本での流行を憂慮する声明を発表しています。
つまり口蹄疫の流行は国際問題となる可能性をはらんだ緊要の事態であり、『口蹄疫清浄国』となるまで徹底的な対応が求められるのです。


 幸い5月11日現在、東国原宮崎県知事以下関係各者の不眠不休の努力によって、宮崎県外への被害伝搬は防がれています。
 殺処分をする獣医の数も足りず、政府がいまだに専用消毒薬の配布を開始していない中で、あり合わせの消石灰を路面が白くなるほど散布し、50~60km以上も風に乗って空気感染すると言われているウイルスの伝搬阻止に全力を挙げていると聞きます。
 また近隣各県でも対策を講じており、沖縄県も競りの自粛と畜舎の石灰消毒をはじめることを決定し、空港や港では消毒液を染み込ませたマットを設置するなどの対策を行っています。

 しかし、もしこの口蹄疫のさらなる封じ込めに失敗し各地に飛び火するようなことがあれば、それは日本の畜産業全体が深刻なダメージを受ける可能性があり、国民の食の安全保障が脅かされる危険性があります。
 またそれ以上に、口蹄疫拡散が今まで長い苦労と研究の末開発された各地のブランド牛・豚に壊滅的な打撃を与え、結果として日本産畜産製品のブランドイメージ低下を招き、著しく国益を損なう結果となる可能性も考えられます。


 民主党政権の動きを見ていますと、普天間に関しての首相の沖縄入りも、この件に関しての赤松農水相の宮崎入りも、あまりにも遅すぎます。
問題を問題と認識していないのか、その行動からは政権担当能力がまったくないとしか受け取れません。


 『国民の生活が第一!』は、先の衆院選における民主党のスローガンだったはずです。
とにかく、しっかりとした対応を徹底して行っていただきたい。
海を隔てているとはいえ、沖縄県も感染のリスクにさらされているのだから。  


Posted by オド 亨 at 13:00Comments(3)時事問題に関すること

2010年05月10日

普天間基地問題に関して

 かつて私は海上自衛官として、わが国の国防の第一線で勤務していました。
海上自衛隊ではP-2Jという対潜哨戒機のパイロットをしていたため、頻繁に米軍との共同作戦(対潜水艦監視追尾行動)を行っていました。
嘉手納基地内にある米海軍ASWOC(対潜水艦作戦センター)にも連絡将校として派遣されたこともあります。
 わが国は海洋国家であり、国家の存立と発展のためにはシーレーンの防衛・シーコントロールの確立は必要不可欠ですから、憲法第9条の下に最低限度の自衛権しか持てないとされている日本にとっては、現状、日米同盟が日本の海洋権益確保および国家安全保障の唯一の鍵となっているわけです。

 このように、日米同盟は現在わが国の国防の基軸であり、またわが国の平和と安全と繁栄の礎でもあります。
さらには、私が議員時代東南アジア各地を歴訪したときに各国の関係者から異口同音に語られていた「沖縄はアジア情勢の安定のために寄与している」という言葉からもわかるように、極東アジア地域の安定のためにも重要であります。
 だから私は県議時代、県議会において沖縄県議会防衛議員連盟を組織し、県議会議員として沖縄の地政学的重要性や自衛隊と米軍、沖縄と日本と米国の関係等を調査研究し、「何故沖縄に基地があるのか?」という根本的な疑問に対する理解を深めてきました。

 先日5月4日、普天間基地の移設問題について鳩山総理が沖縄を訪問しました。
その時に総理が発言したことについて、私は大変驚き、耳を疑いました。
『私は、海兵隊が必ずしも抑止力として沖縄に存在しなければならない理由はないと思っていたが、学ぶにつけ、沖縄に存在する米軍全体の中で海兵隊は抑止力を維持できるという思いに至った。浅かったと言われればその通りかもしれない。』と、平然と言ってのけたのです。
 では、今まで鳩山総理は沖縄に駐留する海兵隊の存在をどう認識していたのでしょうか。
日本の国防をつかさどる自衛隊の最高指揮官として、日本の安全保障の問題、また極東アジアの平和と安定の維持について、どう理解していたのでしょうか。
 先の衆院選においてだけでなく政権誕生後も「県外・国外移設」を一貫して主張してきた鳩山総理は、在沖米軍の中で最大の兵力を持つ海兵隊がどのような存在なのかを、自らが提示した期日の差し迫ったこの段階でようやく学んだということですが、その勉強不足、見識のなさには、呆れかえるばかりであります。

 さらにそれだけではなく、鳩山総理は「最低でも県外」という自らの発言も、「民主党代表としての発言であり、総理の発言ではない」から『公約違反ではない』と述べています。
このような姑息な言い分を並べ立てて恥じない鳩山総理にも、またこの件に関して一切コメントをしない民主党自体にも、そして反論はおろか公式にコメントをすることもない地元選出の国会議員にも、驚きを禁じえません。

 普天間基地移設に伴う諸問題の解決は、たとえ政権が代わろうと国家の問題であり、政権を担ったものは責任を持ってこの問題に当たらなければならないにもかかわらずこの体たらくでは、私は、民主党の政治が続く限り、残念ながら普天間基地は宜野湾市から動くことはあり得ず、危険除去は先送りになってしまうことを確信しました。
 結局、大山鳴動して鼠一匹すら動かない。


 今までの自民党政権下では、在沖米軍の抑止力としての必要性を認識し、それを維持しながらも沖縄県の基地負担軽減を図る目的で、13年という長い年月をかけて合意し、最大限地元や環境に配慮する方策を練り、移設に向けて行動してきました。
 国会でも議論がありましたが、自民党政権は13年もかけて杭一本打っていないのではなく、環境アセスが終了しこれから工事を開始する、という段階だったのです。
2014年までに危険を除去する、という目標に向かって。
 その、長きにわたってコツコツと積み重ねられた米軍再編計画も、「trust me!」の言葉だけをもってすべてを台無しにしてしまいそうな現況です。


 沖縄は国境南西端に位置し、日本の生命線である東アジアからマラッカ海峡やロンボク海峡、スンダ海峡を通りインド洋・中東へと至るシーレーンの玄関口です。
また、尖閣諸島や東シナ海の海底資源等、日本の海洋権益を守るための重要な課題が存在する地域でもあります。
 先日も、台湾や中国の調査船が領海を侵犯したとの報道がありました。
また、沖縄近海を中国の潜水艦が頻繁に往来しているとの話も、よく聞きます。
 そのような中、『国民の生活が第一!』とした鳩山総理は、いったい何を持って日本国民の生活、沖縄県民の生活の安全を保障しようと考えているのでしょうか。

 「trust me!」という言葉を信じた県民は、高く上げた拳をどう下せばいいのでしょうか?  


Posted by オド 亨 at 18:05Comments(1)基地問題に関すること

2010年02月15日

政治資金規正法

最近よく話題に上るこの言葉ですが、結構多くの人が勘違いしているようなので、今日はこれについて少しお話しいたします。


『政治資金規正法』
この言葉をよく見てください。
『規制』ではなく『規正』となっています。
つまりこの法律は、政治資金について規制する法律なのではなく、規則に従って正しく受け取ろう、ということを目的とした法律なのです。

政治資金とは、政治家が政治活動を行ったり、政治目的を達成するために使うお金のことを言います。
選挙事務所の運営経費や人件費、地域の問題点を洗い出すための調査費や研究費、選挙資金といったお金が、これに該当します。

政治を適切に行うためにはそれなりの資金が必要であり、それは責任の範囲が大きくなればなるほど(例えば市町村議会議員は市町村、都道府県議会議員は各々の都道府県、国会議員は日本国全体のことに責任を負う)多額のお金となります。

「政治家は清貧を旨とせよ」は至極当然のことではありますが、やはり正しい政治を行うためにある程度のお金が必要になるのは、これは当然のことであります。

ただ、その使い道は透明にしておかなければならない。
正しく使っていることを、不正に使用していないことを明確に示さなければならない。
それを法的に律しているのが、『政治資金規正法』という法律なのです。



先述したように、政治活動にはある程度の資金が必要になります。
一般の人以上に勉強しなければなりませんし、地域のことも隅から隅まで知っておかなければなりません。
また、ひとりでできることには限界がありますから、スタッフを雇うことも必要でしょう。
それまで認めないのであれば、政治家という肩書は単なる名誉職に落ちぶれます。

しかし一方で、政治家は一般人では持ちえない大きな権力を有しますから、それを利用して私腹を肥やすこともできます。

そのような不正行為をなくすために、この政治資金規正法はあります。


決して、「献金を受け取っちゃダメ」という法律ではないことだけ、ご理解いただければ幸いです。  


Posted by オド 亨 at 13:27Comments(4)時事問題に関すること

2009年11月24日

カンボジア旅行記

 ご無沙汰しております、小渡亨です。


 11月11日~15日の間、私の後援会組織の一つである一金会(丸善組とその関連企業)の親善旅行で、カンボジア王国に行ってきました。

 カンボジアは、東南アジア各国の中でも日本からの定期直行便がない国のため、台湾経由のチャーター機でシェムリアップ国際空港より入国しました。
 カンボジアといえば、世界遺産であるアンコールワット・アンコールトムの遺跡群が有名で、9~15世紀にインドシナ半島を支配していたクメール王朝の栄華の名残を残す密林の中の石造建築物群は、他では決して見られない特異で素晴らしいものです。

 アンコールワット



 アンコールトム ※アンコールトムは密林の中にあり、遺跡は成長した樹木に覆われている





 また、1970年3月のクーデターに端を発するカンボジア内戦による、特に1975年に発足した共産主義勢力『クメール・ルージュ』の独裁者、ポル・ポト政権下で行われた虐殺と旱魃・飢餓による国民の死者数は200万人を超えるとも言われており、その爪痕が今もプノンペン市内だけでなくカンボジア全土に色濃く残っています。
 その中でも市街地中心部にあった学校施設をそのまま使用したトゥール・スレン収容所での残虐行為は、約2万人が収容されたにもかかわらず生還者はたったの8人のみと伝えられるほど悲惨の極みであり、キリングフィールドと呼ばれる処刑場には今でも大量の人骨が無造作に積み上げられ、またそこかしこで土に混じった骨や衣類が散見される程であります。

 キリングフィールド内、うず高く積まれた人骨

 収容所の外観



 さて、様々な歴史遺産等の観光以上に今回の旅行で最も有意義だったのは、今回同行してくれた沖縄・カンボジア友好親善調整官の永山清氏の友人であるカンボジア王室皇太子・SISOWATH Chakrey Noukpol氏との、プノンペン市内での夕食懇談会でした。
 皇太子はシアヌーク元国王の孫にあたり、現カンボジア王室の責任者をされている方です。

 プノンペン市内

 カンボジア王宮


旅行参加者
左側から 金城光男 親田功 城間明政 桑江健 小渡亨 永山清 伊波興正


 懇談会の様子

 皇太子と


 彼の話によると、日本やアメリカをはじめとするいわゆる西側諸国はタイやベトナムとの関係が深く、現在タイと緊張状態にあるカンボジアとしては、生き残るために中国や北朝鮮との友好を深めている、とのことでした。
 また王室については、立憲君主制を布いてはいるものの日本の皇室の在り方に習い『国家の象徴』としての存在であることを選択し、政治権力とは距離を置いてるとのことでした。
 現在のカンボジアは、内戦の最中に官僚や学者、資本家、技術者、留学から帰国した者、伝統芸能に携わる者等々、農民以外の国民はすべて処分の対象となり、財産や身分の剥奪、または処刑されたため、いわゆる『知識人』が極端に少なく、1992年、UNTAC(明石康国連代表)によりカンボジア王国がスタートして以後いまだに国を動かす人材が不足しているという深刻な問題を抱えているそうです。

 わが国では甚大な被害を受けた先の大戦後、優秀な先達が驚異的なスピードで国を立て直し、奇跡的な復興を遂げたことを思い返すと、武田信玄の言葉にあるように『人は城、人は石垣、人は堀』、つまり国家を支えるのは人であり、国家繁栄のためには人材育成が肝要なのだということをあらためて痛感した一言でした。


 近年、特に在沖米軍の幹部との交流を通して感じていることなのですが、たとえ国家間の外交であってもその交渉相手は『国』という漠然とした大きな存在ではなく目の前にいる『人』であり、人と人とのコミュニケーションの積み重ねが重要ですから、沖縄の主体性を維持していくため、日本の国益を確保するためには、政治家としてだけでなく一個人としてもそれぞれ交渉相手との意思疎通を心掛け、良好な信頼関係を築いていく必要性があることを、今回の皇太子との懇談で強く感じました。

 「北風ではなく太陽であれ」
拒絶ではなく対話を重ねること、日常生活でも政治活動でも選挙でもなんでも、人と人とのコミュニケーションこそが大切であること、あらためてそれに気付かされたとても有意義なカンボジア旅行でした。  


Posted by オド 亨 at 19:31Comments(3)

2009年09月21日

総括

 先々週の9月9日水曜、今回の衆院選における選対の総括を行いました。
今回私を支えてくれた市町村議員その他支持者の皆様が50人余りも集まってくれ、次に向けてのとても有意義な会となりました。

 以下は、その会で決まった今選挙の総括です。


第45回衆議院議員選挙(平成21年8月30日執行)沖縄第3選挙区 総括

出馬の動機

 出馬の動機は、1. 中城湾港新港地区の早期整備を実現する 2. 普天間基地の辺野古への移設を迅速に行う ためである。
現職が13年かけても成し得なかったこれらの問題を解決することで、沖縄の経済の発展と安定、雇用状況の改善と所得の向上を図り、閉塞感が蔓延する中北部の現状を打破することが目的であった。
 低迷する中北部の山積する諸問題をしっかりと認識し、着実に解決していかなければこの地域の今後の発展はあり得ず、またこれ以上問題解決を先延ばしにしてしまえば地域経済の崩壊とそれに伴う治安の悪化が懸念され、現状を憂う身として、子供達に何かを残そうと考える親の立場として、「もう待てない!」という思いを強く抱いたため、自民党を離れ無所属となってもなお出馬の意思は揺るがなかった。


選挙戦の推移

 約2カ年近い長期に渡る選挙戦のうち、序盤戦は現職もいるということで身一つでの戦いしか出来なかったものの、まずはじめにうるま市で、次いで名護で市議会議員の応援を受けることが出来、それ以後続々と支持を表明してくれた市町村議を中心として、中盤以降は着実に地域への浸透を図ることが出来た。
 今までの市議・県議選挙は沖縄市だけでの戦いだったためそれ以外での知名度は相当低かったものの、日々の地域ローラー、市町村議をはじめとする地域の方々の懸命な活動、また好評を博した夫婦で写したポスター等により徐々に顔と名前が浸透して行き、最終的には他の4候補に負けないくらいの知名度を得ることが出来たという手応えがあった。
 ただし今回の選挙におけるマスコミ等の報道の争点は政権選択であり、無所属ということでかなりの苦戦を強いられ、また選挙事務所の体制にも後述する根本的な欠陥を抱えたままの選挙戦であったため、組織的な戦いは非常に限定的なものとなり、組織的な盛り上げにも欠ける選挙となってしまった。
 それが、選挙直前の総決起大会や打ち上げ式などでほかの候補を圧倒する参加を得られたものの、結局票にはつながらず上滑りに終わってしまった、という結果につながったものと考える。


敗因の要素と考えられるもの

① 民主への追い風が吹き荒れたこと
 上記にもある通り、今回の選挙のマスコミ上での争点は『政権選択』であった。そのため、地域の問題解決よりも自民か民主かが重視され、また長期的な視点から見た地域活性化の方策よりもこども手当の給付や高速無料化といった目先のお金に関心が移ってしまった。
 また、選挙最後の週の初日である24日(月)に来沖した民主党の菅直人代表代行の「マニュフェストでは公共事業の削減を訴えてはいるが沖縄に限っては公共事業を維持する」という言葉が結果として企業が民主に流れる要因となったこともあり、やはり民主への追い風は当初想定した以上だったと言える。

② 『オドは強い』という雰囲気を作りきれなかったこと
 支持議員の数が多いことや、第3選挙区全域にチラシを配り切る・大会等で大動員が出来る等々、組織としての底力は他の候補以上であったにもかかわらず、それがほとんど表に出ない体制であったため、マスコミの評価等一般における風評が高まらなかった。

③ 選挙活動が主に地域回りに終始し、いわゆる『空中戦』が不徹底だったこと
 名前と顔の浸透を重視し、地域回りを徹底した結果、票の積み上げは各地区である程度以上図れたものの、オドへの『風』を吹かせる行為、すなわち街頭演説やお手振り等のいわゆる『空中戦』がほとんどなされておらず、結果的に雰囲気作りや盛り上げに欠けてしまい、民主に流れてしまった票が多くあった。

④ 沖縄タイムスが早いタイミングでオドの劣勢を報じたこと
 公示後すぐのタイミングの沖縄タイムス朝刊でオド劣勢が大々的に報じられ、それがオドに顔を向けながらも情勢を静観していた企業が民主へ流れる呼び水となった。
 他の新聞は慎重な書き方をしていただけに、選対や支部でのタイムスに対する不満の声も多くあった。

⑤ 本部事務所と企業詰所が別々に置かれたこと
 選挙戦を通して見ると、今選挙で運動の主体のひとつであった仲本工業安全協力会の詰所が今までの県議選や他選挙区の陣営と違い別体となっていたため企業関連の来訪者が分散し、本部事務所を訪れた人々に「いつも事務所が閑散としている」という印象を与えてしまい、「オドは強い」という雰囲気を作って盛り上げることが出来なかった。
 また作戦指揮が選対本部一任だったため、企業本来の持ち味である爆発的な運動量と臨機応変で柔軟な選挙運動の展開が、終盤以外は欠けていた。

⑥ 無所属であったこと
 今回の選挙は『政権選択選挙』であるという連日の報道から、党派に属さない候補を軽視しがちな風潮が根強くあった。
 また、党という後ろ盾がないことで、積み上げた票の票固めの段階においてデメリットに働き、それが票の流出の大きな原因となった。

⑦ 結果として公明・学会の協力がほとんど得られなかったこと
 開票結果を見れば、今回公明・学会の票が自公協力の名の下でチケン側にほとんど流れていることは明白であり、特に沖縄市・うるま市での得票数に顕著に表れている。

⑧ 企業に対して、自民党の嘉数チケン側だけでなく民主党の玉城デニー側からの締め付け・圧力があったこと
 自民党本部からの企業や各種団体に対する圧力は、今回自民党が厳しいと目されていたことからいつも以上に強くあったことが確認されている。
 また先述したように、民主への追い風を盾に民主党本部からの圧力も無視できないレベルであり、相当数の企業票が切り崩しにあった。

⑨ 市町村議員の絶対的な優位を生かしきれなかったこと
 支援議員の数は現職である嘉数チケンはもとより他のすべての候補を圧倒するものであり、また他の陣営よりも危機感を持って各支部事務所を中心に積極的に動いてくれてはいたが、支部事務所を連携させ有機的に動かすことが出来なかったため各地で孤軍奮闘する状況となってしまい、さらには立場上表に出ることのできない議員の活動に対してのフォローもあまり出来ておらず、議員数の優位を得票に結びつけることが出来なかった。

⑩ オド亨を推薦・支持する組織や団体が極めて少なかったこと
 オド亨に推薦状を出し全面的に支援してくれた組織・団体は泡瀬復興期成会とMOAのみであり、また一部業界団体は自主投票に持ち込むことで間接的に協力してくれたが、それ以外の組織・団体の多くは傍観に徹していた。

⑪ 各支部間の連携が取れていないだけでなく、本部とも連携しきれていなかったこと
 各支部の間に立っていたのが候補者本人のみであり、本部との連携は実質日程調整だけであったため、それが⑨に書いたような各支部がそれぞれの地域で孤軍奮闘する結果につながった。

⑫ 恩納・本部・今帰仁・北部三村地域の運動が限定的だったこと
 選挙戦が長引いたおかげである程度の顔と名前の浸透は図れたものの、各地域に根を下ろして活動するための支持基盤を築くことが出来なかったため、上記地域での運動が極めて限定的で散発的なものとなってしまった。


プラスに働いた要素

① 医師会や建設業協会等、様々な業界・団体が自主投票としてくれたこと
 本来自民の支持基盤である医師会や看護連盟、建設業協会等が揃って自主投票を決めてくれたため、支持の拡大を図ることが出来た。

② 各市町村議が奮闘してくれたこと
 今まで沖縄市で選挙をしていて、それ以外の地域は今回が初めての選挙であったが、うるま市議・金武町議・宜野座村議・名護市議・伊平屋村議等各市町村議全員が徹底して地域ローラーをしてくれた。
さらにハーリーや夏まつり等のイベントでは名刺配りなどで常に4~5名が同行してくれ、ほとんど同行者のいない他候補に比べてより細かく有権者のもとを回り、直接顔を合わせる運動が出来た。
 元々ゼロからのスタートであったこれらの地域で一定以上の票を得ることが出来たのは彼らのおかげであり、次につながる基礎固めが出来たと考えられる。

③ 昭和27年生の同期会が立ち上がったこと
 今までの選挙にはなかった組織『同期会』を、選対副本部長である玉栄章宏を中心としたメンバーが立ち上げてくれたおかげで、沖縄市のみならずうるま市やその他の地域においても昭和27年生の支持拡大を図ることが出来た。

④ 病院関係や介護連盟が全面協力してくれたこと
 選対本部長をはじめとする平和病院の懸命な働きにより、沖縄第3選挙区にあるほとんどの病院、老健施設及び介護施設等々医療関係者が全面的に協力してくれ、さらには選挙終盤になって介護連盟が党本部からの圧力をはねのけて全面支援を表明してくれたため、堅実な票の上積みが図れた。
 また選挙終盤には中部地区のいくつかの病院の看護部長が自ら職員の家庭訪問を継続的に行ってくれ、それも非常に効果的に働いた。


まとめ

 今回の選挙戦は、「何も進まない何も変わらない現状を変えよう!」という強い思いの下に皆が結集した戦いでした。
猛烈な民主への風が吹き、政治家としての資質や政策ではなく所属政党で判断されるという、無所属候補にとっては大変戦いにくい選挙であり、また候補者本人や選対の戦略に様々な不備があって現職不信の受け皿となることが出来ず、当選に至ることはできませんでしたが、長きに渡った選挙運動と市町村議員をはじめとする各地の支持者の方々の奮闘は、この第3選挙区におけるこれからの選挙のための基礎固めとなったものと確信しています。
 この総括をもって選挙戦について猛省し、二度と同じ失敗を繰り返さぬよう心がけ、捲土重来を期し、気持ちを新たに次に望まんとすることが、オド亨に寄せられた期待に応える唯一の方法であると信じ、これからも次の当選に向けての活動に邁進する所存です。



 今回の結果を踏まえた上で私がやらなければならないことは、今一度沖縄第三選挙区内をつぶさに見て回り、あらためて問題を抽出し、次に備えて政策を練ることです。
 民主政権となったことで、おそらく今までにはなかった様々な問題が出てくるものと思います。
泡瀬埋め立て中止という発言が取りざたされる中、では中城湾港新港地区事業はどのような方向へと進むのか、SACOで合意された辺野古への移設はどうなるのか、大学院大学や金融特区はどのような形になるのか、最低レベルにまで低迷する教育・雇用の現状はどう改善されるのか、中北部の問題解決と発展を心から願う私としては、今後の行く末が気になって仕方ありません。

 『まとめ』にも書いてあるように、今後もコツコツと活動を続け、次の選挙には必ず当選して、今回政策として掲げたことの実行はもちろん、噴出するであろう問題の解決に向けてしっかりと頑張って参ります。
 これからも、どうか私に皆様の変わらない温かな支持を寄せてくださいますようお願い申しあげ、今選挙の総括を締めくくります。  


Posted by オド 亨 at 11:02Comments(2)

2009年09月05日

捲土重来

ご無沙汰しております、小渡亨です。

今回の衆院選、落選という残念な結果に終わってしまいました。
私に支持を寄せていただいた皆様のご期待に応えることが出来ず、大変申し訳なく思っております。

衆院選の総括はまた近々述べさせていただくとして、今日は皆様にお礼が言いたく、筆を取りました。


約2ヶ年近くという長きに渡る選挙戦の中、共に戦ってくださいました皆様、私のために活動してくれた皆様、誠にありがとうございました。
期待に添うことが出来なかったのは私の不徳の致すところであり、猛省しているところであります。

しかし、私はここでは終わりません。
景気や雇用、教育が低迷するこの中北部の問題を解決できるのは、今回の敗戦を経てもなお私しかいないと自負しております。

風に負けない戦いが出来なかったのは残念でなりませんが、私小渡亨は『捲土重来』を期し、この経験をバネにし、次こそは皆様のご期待にこたえることが出来るよう、私の持てる力を皆様のために役立てることが出来るよう、次の選挙までこつこつと活動を続けていく所存であります。

どうか、これからも変わらぬご支持ご支援を私に下さり、またご指導ご鞭撻を賜りますよう、平にお願い申し上げ、はなはだ粗辞ではございますが、選挙戦終了の御礼のあいさつといたします。


誠にありがとうございました。
これからも頑張ります。

                                     平成21年9月吉日
                                          小渡 亨  


Posted by オド 亨 at 12:56Comments(4)

2009年08月07日

政策⑦ ~スポーツ立県~

 活動の合間に書いているので更新が途絶えがちになっており、久々の更新です。
今回は政策の話です。
私が掲げる沖縄県のふたつの立県構想のうちのひとつ、『スポーツ立県』について。


 沖縄の気候は一年を通して温暖であり、スポーツをする環境としてとても優れた場所です。
それは、国内のプロ野球団やサッカーチーム等々のプロチームのみならず、日本代表、大学、実業団その他数多くの団体が合宿先として沖縄を選んでいるという現状に表れておりますし、サッカーや野球に到っては近隣諸国のチームからも合宿候補地として注目されるほどであります。
しかし、現状ではそれらのニーズにすべて応えられるだけの基盤整備がなされておりません。
沖縄の優位性を確実に活かすためには、その基盤整備が急務であると私は考えます。

 一説には、たとえばプロ野球団が沖縄県で合宿をした際には、一球団につき約10億円程度の経済効果があるといわれています。
プロとアマチュアを同列に語ることはできませんが、日本全国またはアジア地域における合宿のニーズにしっかりと応えていくことの先には、直接的な経済効果だけではない潜在的なメリットも多々あるはずです。


 スポーツは、日本国内では「体育」という教育的側面から取り上げられ、主な管轄省庁は文部科学省となっていますが、諸外国の中には『スポーツ省』などという専門の省庁を置き、大臣を任じ、スポーツを国家事業の一柱に据えている国もあります。
 また、ヨーロッパやアメリカではスポーツはビジネスでもあり、サッカーや野球、アメフト、バスケットといったプロスポーツは巨大な経済規模を誇るものでもあります。

 このようにスポーツを戦略的に捉え、従来の教育や健康増進といった福祉的な部分だけでなく経済効果を生むように考えていくことは、欧米や南米諸国では古くからある手法ですし、また沖縄の経済的自立を考える上で必要不可欠なものであると私は考えています。

 スポーツ施設の充実は現在各自治体で取り組まれている施策ですが、現在あるもしくは計画されている施設はあくまで行政サービスとして作られるため、ニーズをすべて満たせるような大規模のものはあまりないのが現状です。
特にサッカー専用施設や大型体育館等の県内外から求められている施設を中心として、受け入れ態勢の充実を図っていきます。


 さらにもうひとつ、私はスポーツ関連の学術研究機関を沖縄に設けたいと考えています。
 東京に、『国立スポーツセンター』という機関があります。
同センターは、国が定めた「スポーツ振興基本計画」の達成のために置かれ、国内スポーツ研究における中枢機関としての役割を担う機関であり、各種スポーツ競技団体や研究機関などと連携してスポーツに関する研究や選手およびチームの育成等、日本の競技力向上に対し多大な貢献をしています。

 現在、沖縄では県内各地で『スポーツコンベンションの充実』が盛んに議論されています。
しかしその議論の主たるものは施設の充実であり、長期的な観点から見ると『核』となるものが欠けているような気がします。
これから整備していくスポーツ施設の運営の円滑化を図るため、維持管理も含めて有機的に運用していくためには、国レベルの研究機関を中心に据える必要があると私は考えています。

 また、スポーツに関する研究の対象は医学・栄養学・心理学・社会学・経営学・教育学その他多岐に渡りますし、付属の施設としてトレーニングセンター・リハビリ施設・クリニック等々の設置も必要となります。
 それらを含めた一大スポーツ・コンプレックスとして施設整備をすることが出来れば、沖縄は日本のみならずアジア太平洋地域におけるスポーツ先進地となることも夢ではありません。


 スポーツを戦略的に立県構想として打ち出すことには、疑問の声もあります。
しかし研究機関設置まで漕ぎ着けることが出来れば、たとえば研究内容を商品開発に結びつけることが出来れば、企業誘致、ひいては雇用の拡大につながります。
また、医療やリハビリについての最先端技術の開発が沖縄の『健康長寿』のイメージを増幅させ、沖縄のブランド力強化につながることも考えられます。

 このように、キャンプ誘致だけではない経済効果の可能性が期待できる以上、沖縄の優位性を活かす手段として取り組む価値があるのではないか?と私は考えています。


 沖縄は、スポーツ先進県です。
高校生以下では様々な競技において全国的に活躍していますし、プロレベルにおいてもゴルフやバスケットやサッカー、バレー、ハンドボールなど国内リーグで活躍する選手、世界を舞台に活躍する選手を多数輩出しております。
また、世界中で5000万人以上の競技人口を誇る空手ですが、その発祥の地は沖縄であり、世界大会レベルで県人が活躍しております。

 このような強みを活かし、また気候や立地的な優位性を活かして、沖縄の持つポテンシャルを最大限に引き出したい。
そう考え、『スポーツ振興』ではなく『スポーツ立県』と銘打っているわけです。

 ご理解いただければ幸いです。  


Posted by オド 亨 at 11:58Comments(3)政策に関すること

2009年07月20日

解散直前の挨拶

 選挙を追いかけはじめて1年10ヶ月弱、ようやく背中が見えてきました。
いよいよ来月8月30日、第45回衆院総選挙が行われます。
そして、それに向けて明日7月21日に、衆院解散が予定されています。
待ちに待った選挙が、ついに行われます。


 今回の総選挙は、『総括選挙』と言われております。
自民党の今までやってきた政治に対し審判が下される選挙だと。
しかし、それにしては自民党の、特に麻生総理のやってきたことが適正に報道されてるとは、とてもじゃないが思えません。

 この前、支持者の方から「小渡さん、ネットで『麻生が首相になってやったこと』と検索してみてください。面白い記事がありますよ」と言われたので、見てみました。
するとそこには、適切に評価された麻生総理の功績がおもしろおかしく記載されていました。

 その中でも私は、『追加経済対策』と国家機密漏洩防止策の改善を、特に評価しています。
 国費15兆円を投入したこの経済対策は、アメリカを発信源とした世界的な不況に対する対応策として、『バラマキ』と揶揄されていることを含めてもなお、国内の産業や国民の利益を守るためにはベターな方策だったと思います。
費用対効果は未だ不明であり、今後いかにして投入した金を回収していくのか?ということが課題になりますが、このような切迫した事態では議論よりも決断が必要とされますから、早急かつ迅速に対応したこと自体は評価されてしかるべきでしょう。
 また機密漏洩防止については、今年の4月に改正された外為法と不正競争防止法により軍事スパイと産業スパイをより広範に取り締まることが出来るようになりました。
この改正の先には、欧米並みの包括的なスパイ防止法の制定があると思います。
国家の、または国民の利益を守るためには、スパイ防止法の制定は必要不可欠です。
元自衛官として、一時期度重なった自衛官の機密漏洩事件には歯痒い思いをしましたが、この改正により『機密漏洩防止』の意識が一歩先へ進んだことを思うと、溜飲が下がる思いです。

 それ以外にもたくさんの評価すべき功績、期待できる施策はたくさんありますが、何故そのようなことよりも漢字の読み間違いなどということのほうが多く報道されるのか、私は疑問に思います。
 本来であれば、麻生さんが日本のトップとして居続けると日本はどうなるのか、政権交代が成されたら日本はどう変わっていくのか、有権者に対し投票行動の参考になるよう提示することが肝要であるはずなのに、テレビをつけると報じられているのは政局の話だけです。

 『風』を演出することは、マスコミの役割ではないと思います。



 さて話は変わりますが、今回の選挙、私は無所属で挑戦します。
 今回、私が現職がいる中で離党してまで出馬を決意した理由は、まずは合意後12年経ったにも関わらず何も変わっていない基地問題、計画が立てられてから20年余も一向に使えない中城湾港新港地区、西原マリンタウンよりも前に計画されながら未だ先に進まない東部海浜、廃れていく一方の中部、医療格差に苦しむ多くの人々を抱える北部、一向に最低レベルを脱しない中北部の雇用と教育の問題等々、選挙区にあるたくさんある問題を解決するためです。
 そしてそれと共に、元自衛官である知識と経験を活かしてキナ臭くなりつつある日本の国防の問題、構造改革の負の遺産である非正規雇用拡大の問題、天下りに代表される官民癒着の是正、また国の事業である沖縄科学技術大学院大学やIT津梁パークの開学・完成とその後の有用な運用に、しっかりと取り組んでいく所存です。


 私は、自分が生まれ育ったこの地域を、この国を、より良いものとするために政治家をやっています。
自分たちの街を安心して生活できる場所にしたいから、街のことを考えます。
子供たちが健やかに育ってほしいから、地域のことや教育のことを考えます。
その思いの延長にあるものが政治であると、私は考えています。

 政治は、人です。
「政治家は誰がやっても変わらない」とよく言われますが、やる気のある政治家がしっかりと地域や国の問題解決に向けて頑張れば、地域は、国は、必ず良くなります。
何も変わらないという現実があるとすれば、それは政治家が何も仕事をしていないことの表れに過ぎません。

 現在、沖縄第3選挙区は様々な問題を抱えていますが、現状ではほとんどその解決は図られていません。
国も、様々な問題を抱えながらも政局だけが関心事となっています。
そのような政治は、変えなければなりません。


 もし、私の話や政策に賛同していただけるのであれば、また共感できる何かがあるのであれば、今回その思いを私に託してください。
当選後の私の仕事ぶりにもし不満があれば、次からは他の候補を応援していただいて構いません。
だからこそ私は、一挙手一投足油断せず、一瞬たりとも怠けずに、しっかりと政治を行ってまいります。


 そのような意気込みを買ってくれたのか、無所属という立場ながら、60名余の市町村議員をはじめとする多くの方々が私を応援してくれています。
沖縄市本部、具志川、石川、与勝、金武、宜野座、名護の7支部を中心に、広大な3区全域で選挙運動を展開できるようになったのは、たくさんの方々の助力あってのものです。
今まで長い期間活動してきましたが、解散を目の前にしてこれほど心強いことはありませんし、また肩にかかる責任にあらためて身が引き締まる思いです。


 この勢いをさらに強くし、明日からの選挙運動を盛り上げて、解散後の残り少ない期間を戦っていきます。
応援してくれる皆様の期待に応えるため、最後の最後まで頑張りぬきます。

何卒、私小渡亨にあたたかなご支持ご支援を、よろしくお願いいたします。  


Posted by オド 亨 at 12:44Comments(3)国政に関すること

2009年07月11日

支部事務所開き&支援者の集い①

 今週は、目前に迫った総選挙に備えて臨戦態勢を整えるべく、各地の事務所開きや支援者の集いを建て続けて行いました。

 今回の選挙戦は、おととしの年末に立候補を表明してから1年と7ヶ月が過ぎ、いまだかつてないほどの長期に渡る選挙戦となっています。
このような選挙は、おそらく最初で最後の経験になると思います。


 私は、福田前総理と麻生総理には、大変感謝しております。
なぜなら、選挙が長引いたおかげで、たくさんの人に出会え、多くの支持を得ることが出来たからです。

 もし、マスコミ等で取りざたされた昨年頭・昨年度初頭・昨年夏・昨年11月等に選挙が行われていたら出会えなかったはずの人たちに、企業の朝礼や夕礼で、懇談会で、模合等の席で、地域を歩く中で、スポット演説中の街角で、顔を合わせ言葉を交わせたおかげで、地域の問題点や政治に望むことや期待したいことなどを聞きだすことが出来ました。
それは、私が打ち出している政策だけでなく今後取り組みたいことへの糧となっていますし、激励の言葉に毎回「やらなければ!」と身が奮い立ちます。

 今回宜野座や与勝地域に事務所を開くことができたのも、期間が延びたおかげです。
与勝支部で150名超、石川で200弱、宜野座で100名余もの人が私のために集まってくれたのも、同様です。
期待の大きさに、身が引き締まる思いです。

 せっかくいただいた期待を無碍にすることのないよう、さらにピッチを上げて最後まで戦い抜きます。
共に、頑張りましょう!


7月6日 与勝支部事務所開き


7月7日 石川支部支援者の集い


7月8日 宜野座支部事務所開き



 そして引き続き、来週7月13日(月)にはうるま支部支援者の集い、7月16日(木)には金武支部の事務所開きを行います。
もし時間が許すのであれば、是非ともお越しいただきたいと思います。

 よろしくお願いします。  


Posted by オド 亨 at 18:01Comments(1)その他のこと

2009年07月09日

七夕まつり in 一番街

 おとといは七夕でした。
月が煌々と輝く空は星を見るには少々明るすぎではありましたが、短冊に『当選』の願いを込め、道途中にしてあらためて身を引き締めた、そんな夜でした。


 さて、七夕に先んじて7月1日、沖縄市一番街において『ディープ コザ・大パーティ』が開催されました。
毎年7月1日を『県産品の日』として、県産品を応援しながら皆で楽しくワイワイやろう!というのがコンセプトのこのイベントに、私は沖縄市の議員や支援者の方々と共に、七夕に備えて設置された大きな笹のもとで、沖縄市の中心市街地の活性化に思いを馳せながら参加してまいりました。


『ディープ コザ・大パティー!』


 「ARIA ASIA」      「豊田さんのおやじライブ」


東門市長夫妻と       党派を越えて

支援議員との一幕など


 酒の席では、東門市長や革新系議員の方々とも同席しました。
主義主張は違えど、共に沖縄市の現状を憂い、政治家として「どうにかして元気にしていきたい!」と常日頃考えている、仲間です。

 政治は、排除の論理ではうまくいきません。
議論すべきは議論し、聞き入れるべきは聞き入れて、問題解決に向けて『最善』を尽くさなければなりません。
『同床異夢』ではなく『大同小異』であるべきなのです。

 本来、沖縄はひとつです。
戦後64年、復帰後37年、「賛成!」「反対!」などと叫びあう時代では、もうありません。
 普天間の移設にしても、最優先で考えるべきは住民の頭上にある危険の除去であり、それを迅速に行うことが肝要なのであって、県外移設だの150mずらすなどと言ったことに拘って移設が進まないのは、ナンセンスです。
もしまたヘリや飛行機が落ち、住民に被害が及ぶようなことがあれば、その責は、動かせるはずなのに動かさなかった私たち政治家にあると、私は考えます。
 政治家は、イデオロギーや主義主張ではなく、適切な問題解決を速やかに行うことを最優先させなければなりません。
それが責務であり、本来あるべき姿だと思います。


 そんなことを思いながら、また話ながら、共に酒を酌み交わした夜でした。  


Posted by オド 亨 at 10:35Comments(4)その他のこと

2009年06月30日

夏の夕暮れ

事務所から見た夕陽です。

最後に粘りを見せた梅雨もようやく明け、季節は夏になりました。
『雨降って地固まる』の言葉通り、梅雨が明けた今、地はしっかりと固まってきたものと実感しています。
長かった選挙も残りもうちょっと、最後までがんばります。

  


Posted by オド 亨 at 19:34Comments(3)その他のこと

2009年06月28日

ボクシング







 先週21日日曜、津堅ハーリーの後に琉球ボクシングジムその他主催で行われたボクシングの試合を見てきました。
沖縄市のテルヤダイヤモンドホールで行われたこの試合は、ダイヤモンドホールでの最後の試合ということもあって、2階席まで満員でした。
 ボクシングは昔から良く見るのですが、実は生で見たのは初めてで、知らぬ間に自分もエキサイトしてしまうほどの「生の迫力』がとても新鮮で、楽しい時間を過ごさせていただきました。
 

 沖縄県は、スポーツが盛んなことで全国にその名を知られています。
中学生の大会でも高校の大会でも様々な種目で優秀な成績を残し、またプロの世界においてもゴルフやバスケット、ビーチサッカーなどで優秀な選手やチームが日本、あるいは世界を舞台に大活躍しているところですが、『世界一』を沖縄県から輩出したことがあるのは今のところボクシングだけです。


 昨今、多くの若者から『熱』が失われつつあります。
経済的不況、失業率の高騰、教育レベルの低下、その他たくさんの今ある問題には様々な原因があると考えられますが、私はこの『熱が失われつつある』ということも原因のひとつじゃないのか?と思っています。
 『熱』は、未来への原動力です。
熱があるからこそ人は頑張ることが出来、頑張ってはじめて道が開けます。

 昔は、中北部にも熱がありました。
沖縄市のゴヤやコザ、現うるま市の安慶名や石川、金武のゲート前、名護の市街地など、街に活気が溢れていました。
しかし、今ではそれが冷めてしまっています。
街に活気を取り戻すためには、その町に住む人々が熱を取り戻さなければなりません。
特に、街の活気を担う若い人たちが。

 ボクシングでも他のスポーツでもエイサーでもその他のことでも何でもいい、若者が熱を持つことができるような環境を、たくさんの可能性が提示できる社会を、考え作っていくことが真の意味での『まちづくり』です。
 まだ概念的な思いしかなく具体的な方策はありませんが、しっかりと考えてカタチにしていきたいと思います。


…ボクシングに懸命に打ち込む彼らの姿に、とても勇気付けられました。
私も、がんばります。  


Posted by オド 亨 at 16:23Comments(2)その他のこと

2009年06月28日

津堅島ハーリー

 先週の日曜は、津堅島のハーリー大会に行ってきました。
津堅島は与勝半島沖に浮かぶ島で、本島から5km程度しか離れていませんが、海や砂浜が段違いにきれいです。

 日程の都合でフェリーではなく知り合いに船を出してもらっての行程でしたが、普段目にすることのない海から見た東部海浜や新港地区の姿を眺めたり、中城湾の穏やかさを目の当たりにして港湾としての素晴らしさをあらためて実感したりと、とてもいい経験になりました。

 また、勝連のホワイトビーチには米海軍のイージス艦が停泊していたので一目見ようと近づいたらパトロール艇に注意された、という一幕もありました。


 現在沖縄の玄関口は空港も港もすべて南にあり、中北部の企業にとってはそれが大きなロスになってしまっている部分があります。
天然の良港であり年中穏やかな中城湾港の整備をしっかりと行い、使える港として作り上げることが、中北部の今後の発展に大きく寄与すると私は考えています。
 そして、中城湾港新港地区の整備は東部海浜と連動した事業ですから、東部海浜事業もしっかりとやっていきます。




津堅のハーリー


イージス艦。私の後方に移っているのがパトロール艇。


海から見た東部海浜


船上にて(左から、伊波事務局長、妻の成子、私、いとこの小渡敬) 


くらげ


海から見た中城湾内 西原~泡瀬  


Posted by オド 亨 at 15:35Comments(2)その他のこと

2009年06月24日

慰霊の日


※泡瀬の搭

 先日は、慰霊の日でした。
私は、朝5:00に摩文仁・黎明の搭、次いで9:30に泡瀬の搭にて行われた慰霊祭に参列し、また12時から行われた会議では皆で黙祷を捧げ、戦争で亡くなった多くの御霊を慰めると共に、平和への願いを新たにしました。

 慰霊の日は、第二次世界大戦における国内最大の地上戦であった沖縄戦の組織的戦闘が、1945年6月23日に終結したことにちなんで定められた記念日で、今年で64回目を迎えます。
 1974年に制定された「慰霊の日を定める条例」第一条に「第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失った冷厳な歴史的事実に鑑み、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求する(一部略)」とあるように、平和は人類共通の願いです。

では、平和はどのようにして実現させていけばいいのでしょうか。


 様々な場で『軍事』のことが語られるとき、一部の政治家や平和運動家などから「戦争賛美だ」「軍靴の音が聞こえる」と揶揄されることが多々あります。
 しかし、病気を防ぐためには病気のことについて事細かく知らなければならないように、戦争を無くし平和を守るためには、軍事や戦争のことについて深く理解する必要があります。
 また、日本はシビリアンコントロールの原則が憲法第66条に定められており、私の母校である防衛大学校では「政治的活動に関与せず」と宣誓しています。
シビリアンコントロールとはすなわち『政治統制』のことであり、その主体は国民の代表である政治家にあります。
だから、政治家がしっかりとイニシアチブを取って主導していけば、軍の暴走を繰り返すことは二度とありません。
 戦争も同様です。
軍事学において「戦争はそれ以外の手段を以ってする政治の延長である」「政治的統一体の発作的で暴力的な病気」と定義されているように、戦争はそのほとんどが政治的不和や対立が原因によって起こるものですから、政治家がしっかりと内外の事に当たり続けていれば、戦争は最大限回避できます。

つまり平和を守っていくためには、軍事について深く理解し、議論し、想定しうるべきあらゆる事態について対策を準備しておくことが肝要です。
決して、武器や兵器をただ闇雲に否定することではありません。


 私は、元自衛官です。
国防の最前線にいた経験上、『平和を守る』ことの何たるかはわかっているつもりです。

 日本は現在平和を謳歌していますが、その周辺にはキナ臭さが漂いつつあります。
いまや世界第2位に軍事大国となった中国、強引に核開発を推し進める北朝鮮など、平和を脅かす要素はゼロではありません。
 二度と悲惨な戦闘に巻き込まれることのないよう、この平和が失われるような事態にならぬよう、政治家として尽力してまいります。


慰霊の日を期に、あらためてその思いを強くしました。  


Posted by オド 亨 at 12:52Comments(2)その他のこと

2009年06月18日

かおりばな

恵みの梅雨を受けて、美しく香り高く咲き誇る我が家の『薫華』たちです。
一日の終わりに花の香りに迎えられると、心和みリラックスして眠りに就くことができます。



月下美人はとても香りの強い花です。甘く色気のある香りがします。
大切に育てた結果、今年は庭のいたるところで35輪も咲き、夜の門扉付近は芳しい匂いが漂っています。


夜香木も香りの強い花です。強烈な甘い香りを漂わせます。
この花は夜にしか咲かず、香りも夜にしか味わえません。
左は昼の写真で蕾の段階、右は夜一斉に花開いた様子です。


バラも、バラならではの高貴で芳しい香りがしますが、残念なことに夜香木と月下美人の強い香りに押され、近づかないと感じられません。


マダガスカルジャスミンです。清々しい香りを放ちます。
この花は玄関先に植えられているため、玄関先はジャスミンの香りで包まれています。


この花はアジサイです。
梅雨の代名詞ともいえるこの花は、まだまだこれからも目を楽しませてくれることでしょう。


『レイ』の材料としても使われるハワイを代表する花、プルメリアです。
甘美で爽やかな香りがします。




ついでに、たわわに実る島バナナと、


ゴーヤーです。

毎朝家で取れたゴーヤーを食べ、毎日元気に頑張ってます。  


Posted by オド 亨 at 18:35Comments(3)その他のこと

2009年06月17日

政策⑥ ~観光立県~

 延び延びになっている政策に関する詳細について、残りの『推進!』に関することをお話していきたいと思います。


 観光立県に関する施策

 沖縄県経済を支える3つの柱として、よく『3K』という言葉が使われています。
「基地」「公共事業」「観光」の3つを指しているのですが、今沖縄県は、仲井眞知事が打ち出した『観光客1000万人構想』の実現を目指し、『ビジット・おきなわ計画』を策定しております。
その内容は、
○外国人観光客の誘客促進
○リゾートウエディングの推進
○ニューツーリズムの推進
○MICEの誘致促進
※ 『MICE』とは、MeetingIncentiveConventionExhibitionの頭文字をとった造語で、研修やセミナー、視察、展示会、国際会議のことを指す
および観光まちづくりや人材育成などの受け入れ態勢の強化などとなっております。


 観光は現在の沖縄において、多数の雇用と莫大な経済効果を担うリーディング産業のひとつであり、また県の自立経済の確立を目指す上でも重要な産業です。

 国は、2007年1月に施行された『観光立国推進基本法』に則り、2008年10月には観光庁を設置して、観光立国の実現に向けて様々な政策を掲げています。
現在沖縄県では民間が頑張っていますが、民間活力を最大限引き出せる環境を整えることは、政治家がしかできません。
県を代表する政治家が積極的に国と県とのパイプ役となり、法律を最大限に活用して県観光の発展に尽力することは当然の責務であると私は考えています。


 また、不況下においても伸びを示す観光は順風満帆に思える、という方も多くいらっしゃると思いますが、早急に解決を図らなければならない差し迫った問題もあります。
それは、『那覇空港の滑走路増設および拡張整備』『基幹道路における渋滞の解消』です。

 これは皆さんの記憶にもまだ新しいことだと思いますが、2007年8月20日、台北発那覇行の中華航空120便が、那覇空港着陸直後に爆発・炎上するという事故がありました。
この事故については、幸いにも火災が広がる前に全員脱出したため死者は一人もおらず、人的被害は最小限に抑えられたのですが、同時に沖縄県が抱えるひとつの深刻な問題点を浮き彫りにしました。
それは、那覇空港の滑走路が一本しかない、という現実です。

 120便は、着陸後エプロンの41番スポットで停止した後に爆発・炎上しました。
これがもし滑走路上で爆発炎上していたとしたら、少なくとも数日以上は滑走路が閉鎖される事態となったことが考えられます。
沖縄は那覇空港を玄関口とし、人的輸送の多くや物的輸送の一部を空路に頼っています。
その滑走路が使えなくなった場合、沖縄が被る損失は莫大なものがあると言えるでしょう。
つまり、危うく沖縄のすべてがストップしかねない危機的状況をギリギリのところで運よく免れた、というのがこの事故に対する私の感想です。

 以上の観点から、現在の『滑走路が一本しかない』という状況は、危機管理上大きな問題だと私は考えます。
政治家として、できる限り迅速な問題解決を図りたいと思います。
 
 ちなみに、玄関口の整備については『嘉手納基地の軍民共用化』も取り組んでみたいことのひとつです。
現在の那覇空港も、自衛隊と民間が共用している空港です。
沖縄を南の玄関口と位置づけ、国内線だけでなく国際線をも充実させ、また航空物流の拠点として発展させていくための方法として、あくまでたとえばの話ですが「ANAとスターアライアンス加盟各社が乗り入れる空港」「JALとワンワールド加盟各社が乗り入れる空港」という風に航空会社によって飛行場を分散させることもひとつ有効な手段ではないか?と私は考えます。
 これについては日本政府と折衝するだけでなくアメリカとも交渉をしていかなければなりませんし、法律等を変える必要も出てきますが、勉強を重ねて是非取り組んでいきたいと思います。


 また、道路網の整備も重要な課題です。
南北に長く伸びる沖縄の地理特性上、南北に伸びる基幹道路が東西に一本づつ(国道58号線と国道329号線※国場川以南から知念半島にかけてと名護以北は331号線)走っておりますが、沖縄県は車社会であり、また観光客もレンタカーを利用して観光をするため、恩納村のリゾートホテル地区を走る国道58号線を中心として渋滞が頻発しております。
 渋滞は経済のみならず環境にもマイナスの効果しかもたらさないものですから、沖縄のイメージの向上のためにも、地元の人々の生活の便利のためにも、また将来さらにレンタカー台数が増加してもそれに対応できるようにするためにも、バイパス建設を含めた道路整備は急務です。

 道路の整備や新規建設に関して、以前道路特定財源の問題が噴出した折に『税金の無駄遣い』と盛んに報道され、問題視されていましたが、道路の整備は人やモノの流れをスムーズにし、ひいては地域の発展につながりますから、必要な道路は積極的に作らなければなりません。
国道58号線バイパス・国道329号線バイパスの建設や各地にある渋滞道路の拡幅など、問題となっている路線の整備を積極的に進めます。



 沖縄を訪れる観光客の数は、年々増え続けております。
現在、100年に一度といわれる世界的な経済危機や世界的に大流行の兆しを見せる新型インフルエンザなど、沖縄観光の順調な発展を阻害する要素は散見されるものの、そんなことくらいでへこたれるような沖縄ではないはずです。

 『観光客1000万人構想』の実現には、沖縄側の受け入れ態勢の構築も必要になります。
基盤整備をしっかりとし、民間の縁の下の力持ちとなることが、観光に対して政治ができることだと私は考えます。
国政の場から、しっかりと沖縄観光をバックアップしていきます。  


Posted by オド 亨 at 13:11Comments(2)政策に関すること